ノスタルジー
これまでひたすら前を向くだけだったのに、このごろ過去を振り返ることが多くなった。
それも直近の回顧ではなくて半世紀も前の回想。
思えば、周囲や自分のあらゆる刹那で革命が頻繁に起こっているのに、前を向いて平然と歩いていた。浅薄短慮ながら、無尽蔵のエネルギーは見上げたものだ。
半世紀前の青春を共にした高校30期の会が非日常すぎた?
それとも懐メロ番組にしびれた?
そういう歳になっただけなのやろか。
破滅的な国家の欲望に翻弄され戦争こそが現実であり青春でもあった親たちによって、この世に生を受けたワシら世代。
もはや戦後ではないと警鐘する白書を覆した希望あふれる高度成長期の新時代に生まれ、冬季五輪後の小学校卒業文集に皆がこぞって並べていたのは明るく豊かな将来像と前向きな言葉ばかり。
ジャパン・アズ・No.1と世界から称賛され勤勉と競争力にみちた日本経済の黄金期に社会人デビューして、1980年代の安定成長期、ハイテク景気〜バブル景気~規制緩和を経て、技術で優るもビジネス化できない日本特有のガラパゴス化と凋落を案じながら迎えたのは、50年前に想像していたのとは明らかに違う「もっともっと輝かしいはず」だった今日。
それでも、おかげさまでワシらはゴール地点に近づいてきた。
日本がもっとも元気だった70~80年代と巡り合わせ、かけがえのない青春を送れたことに、まずは感謝、感謝。
ワシらと異なる時代に生きる今の子どもたちは、いったいどんな将来に胸を弾ませているのやろか
その子たちに、今ワシらがしてあげられることって何だろう
日本は今でもここにあるし、これからも世界とともにあるけれど…
故三島由紀夫が奇矯と揶揄されシニシズムと嘲笑され、1970年の市谷自決直前に寄稿したコラムに残る「富裕な」という言葉が口惜しい。
(前略)
二十五年前に私が憎んだものは、多少形を変えはしたが、今もあいかわらずしぶとく生き永らえている。生き永らえているどころか、おどろくべき繁殖力で日本中に完全に浸透してしまった。それは戦後民主主義とそこから生ずる偽善というおそるべきバチルス(つきまとって害するもの)である。
(中略)
私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このまま行ったら「日本」はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであろう。それでもいいと思っている人たちと、私は口をきく気にもなれなくなっているのである。(1970.7.7 産経夕刊)
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