20代後半から考える 親との付き合い方【独身女性編】
20代後半は、もっと大人だと思っていた。
私のイメージでは、
きっと、仕事では大きなプロジェクトを任されていて、優しい穏やかな年上彼氏と婚約していて、交友関係も更に広がっていて、地元に住んでいる家族には温泉旅行をプレゼントしているもんだと思っていた。
変化のある鮮やかな毎日をピンヒールで歩みながら、心地良い背伸びをすることが出来ているはずだった。
ただ、現在の自分は笑えるほどに遠い場所にいる。
仕事を辞め、彼氏はおらず、地元の友人とは「今年こそは同じ話題で同じ話をすることは辞めよう」と誓ったそばからまた耳にタコができた噂話をしてしまい、そして帰省の度に、親と口喧嘩してしまう。
なんて遠いところまで来てしまったんだと頭を抱えたくなる。
理想と現実の乖離は、年齢を重ねるにつれて徐々に広がり始めたように思える。そして、理想そのものに対して疑問心を抱くようになっていく。
こうなると、20代後半の第二次思春期のパラドックスに見事に足を突っ込んでしまっているのかもしれない。人生の分岐点に立たされ、自分自身で舵を取らないといけない重さを自覚し始める年齢になったという事でもある。
そしてまた、これから待ち受ける未来の決断事の多さに、ほとほと視界と脳の動きが鈍ってしまい、誰かに答えをすがりたくなるのだ。
ただ、この現在の自分を作ってきたのも、決断を重ねてきた自分に他ならない。
それが嫌でも分かっているからこそ、人と人のはざまで日々生き抜く心を、強く締め付けられるんだろう。次の行動へ向かう足を遅らせ、鈍色に光った手持ちの武器で戦おうとするのだろうか。
今回、2月に訪れた3連休は実家である関西に帰省した。
東京から新大阪へ向かう新幹線、降雪の影響で岐阜羽島あたりで減速しはじめた車窓から一面に広がった白い景色をただ眺めながら、ふと祖母の事を思い出した。
今回の帰省は、昨年の12月、この世を去った祖母の四十九日の供養のためだ。戦時中の日本を生き抜き、祖父が亡くなってからも一人で約10年生活をした、穏やかながらも強さがあった祖母だった。
6年前仕事のため上京することを決めた際に、唯一応援してくれたのも祖母だった。
「女性の生き方は誰かに決められてはいてはいけない。」
「なにかあった時に、自分で地に足を着けて生きていく力が必要だ」
そんな言葉をいつも与え続けてくれた祖母に、
今の自分は顔向けできるのだろうか、と考えていた。いつから自分の決めた事すらも、疑い守れなくなったのだろうか。
そんな現在の私自身に納得していない現実を重ねるからこそ、なお親の言葉は響く。
法要の会場で、葬儀ぶりに会う親戚達が談笑する中、母親が私に放った言葉たちは、折れかけた自尊心を傷つけるには十分なものだった。
「今大丈夫なの?うまくやってるの?」
「誰か良い人がいたりしないの?ちゃんと考えてるの?」
「身体に気を付けてるの?少しでも料理をしないといけないのよ」
当然の質問だったと思うし、家ではこういった話を避ける私だからこそ、外でしか話せなかったんだろう。
ただ、うまくやっていきたいと自分自身が一番強く思う私にとって、答えようがなく、
「もう、うるさいな~。」
と目も合わせず答え、無視することしかできなかった。
悲しそうな顔をする母親の顔を視界の端で感じながら、帰り道になぜもっと優しく穏やかに接することができなかったのか、後悔の気持ちから目を伏せていた。
友人の話では、今後の結婚や仕事の事を親からもっとキツく、こまめに催促するように質問責めされる子も多くいる。実家暮らしであればなおの事。
いくつになっても親の中では、子供はどんなに大人に成長しても、小さかったままの姿で”守るべき存在”として大切に記憶されているんだろう。
それを理解しつつも、つい疎ましく感じてしまう度に、自分がまだまだ子供であることを突き付けられて、情けなさで一杯で何より心が痛む。
話は変わるが、
『20代後半の独身女性には選ばないといけない事』が多すぎるのではないだろうか。
もちろん男性もそうだし、既婚者も同じだと思う。
ただ、独身女性は想像以上に肩身が狭いおもいを強要され、すぐ近くの未来に花を咲かせることを求められることが多いと感じる。
結婚を考えている相手がすぐそこにいるべきで、
付き合っている人がいれば結婚がすぐそこまで来ているべきで、
出産の適齢期であることを意識し、活動をするべきで、
結婚妊娠までにキャリアを積んでおくべきで、
「すぐそこの未来を考えないといけない」とあらゆる所から聞こえてくる
そして結局のところ、日々自分自身が一番意識をしているからこそ、親の投げかけに対して拒否をすることで、甘えてしまっているのだろうか。
「心配させまい」と将来を上手に作っていこうと思う中で「親の為なんだ」と強い矢印があると、昇華できなかった時に「なぜ私は親の事をここまで考えているのに、こんな余計な事を言うんだろう。」と寄り添ってもらえない苦しさに苛まれてしまう。
”親を大切にしたい”という根底にあるシンプルさを、表現するより前に先に嫌気がさしてしまわぬように、
『何をどのように、どこの範囲まで伝えるのか』を意識する必要があると思う。コミュニケーションの大前提であるが、意外と親相手だと難しい。
例えば、離れて住んでいる私はこういう風にしている。
【電話】は顔が見えてない分、本音を言いやすい。ただ、余計に話題が膨らんでしまう可能性も孕んでいるので、簡潔に伝える内容を決めて話すようにする。
例えば状況の報告をするだけなら、【メール】でいいと思う。〇〇の事について考えていない訳ではない、ざっくりと動いているという事だけをメールを一通するだけでも、親も自分も安心できると思う。
そして、帰省など【直接会う】事になった場合、伝えなければいけない事・相手が聞きたいだろうと予想できる事は、1番に話す方が良い。タイミングや場所などもあるが、会ってすぐが良い。親から聞かれること自体が、自身のストレスになっていると思うから。
こんな簡単な事でも、いざ気を付けて接してみると状況は変わるに違いないと信じて続けている。
接し方を工夫するということは、重荷ではなくて必然なんだと思う。
長い月日の中で、関係性は形を変えていくものであるし、親も、そして私自身も、いま現在の変化していく相手と向き合わなければいけない。
きっと、30代を迎えても親との付き合い方という事から解放される日は来ない。
ただ、形は変わっていく。変えられる。
これからは、私が親のことを心配をすることの方が増え、親が悩み傷つき歩んできた人生があったことを理解できるようになるんだろう。
小言を懐かしむことは出来なくとも、怒りをぶつけず、少しは穏やかに気持ちを交せるようになればいい。それで十分なんじゃないかと思う。
”親と子” 当人同士にしか分からない、その時々の言葉や空気がある。
あんなに上手くやっているように見えた母と、亡くなった祖母もそうだったのだろう。
病床の祖母のため、付きっきりで介護した母はこう言っていた。
「小さい頃から大人になってからも、あんなに長い間時間を共にしたのに、本当に伝えたかったことは、病床についてからようやく話が出来た。」
「今だから話せたし、今だから理解できることがあった。」
いつか祖母と母が話したように、私も純粋に母の想いを受け止められる日がくると良い。
20代後半の独身女性である私は、
祖母が言っていた「自分の力で歩んでいく」ことが今まで以上に必要になっていくと思う。
しかし一人で叶えなくてもいい。
それは、支えて理解してくれる人がいたら心強く歩んでいけるんだろう。
そしてそれが親であれば、幸せなことに違いない。
「親孝行をしたいときに親はいない」という言葉は不変のものだし、本当にその通りだと思う。
いつか来るその時のために、早いうちに親孝行をしたいと思う。
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