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あらためて『喜劇の手法』の目次をながめてみる。

あらためて『喜劇の手法』の目次をながめみる。

各パートの見出しだけを拾うと。

Ⅰ だます―喜劇と意識
Ⅱ 迷う―喜劇と無意識
Ⅲ 間違える―喜劇の状況
Ⅳ 語る―喜劇の言葉
Ⅴ 考える―喜劇についての喜劇

となる。

さて、ここから前回仕分けた構造構成、仕掛けといった言葉に意識的になりながら、メモしていくことにする。

まず気づくのが、どうやらⅠとⅡが対になっているということ。
登場人物の主体性、その喜劇的な状況に対して「能動的」か「受動的」か、ということが問題のようだ。

Ⅰの《だます》は、誰かを騙そうとしているから主体的、能動的。
それに対して、Ⅱの《迷う》は、混乱する状況をわざわざ自らに招く者はあまりいない、ので受動的。
《だます》の最初の章は【変装】で主体的に誤認を作り出すことなのに対して、《迷う》の最初の章は【双生児】、誤認してしまう、そうとしか思えない、といった受け身の状況を扱っている。
また、《だます》が「喜劇と意識」とされているのに対して、《迷う》は「喜劇と無意識」となっている。

《だます》作品に登場する人物にはミッションがあり、それが成就するか、失敗するかという、ヒーローものと近い構造がある。「私はある目的のために○○しなければならない」ということになる。

《迷う》作品の人物たちにも「しなければならない」ことがある。ただ彼らの主体性はあやしい。自分の認識のズレや欠落に気付いていないことも多く、「状況の中で○○せずにはいられない」といったところか。
この「せずにはいられない」は、物語のエンジンとして馬力があり、演劇としての仕掛けにも使える。
さて、その不条理な状況は、誰が与えたのか…神様?運命?

そんな感じで、まず「能動」「受動」の二つの対比がある。
「物語に登場する人物は、なにかしらの目的を持っている」を前提とするならば、状況に対して人物がどのように関わっているのか、「能動」「受動」の軸で構造を整理してみるのは有効だ。

それらに対して、Ⅲの《間違える》は、その状況を意図的に作り出す主体がいないだけでなく、「双生児」といった間違えてしまう元々の「原因」もない。
その状況はたまたまで、蓋然性が低く、話の筋としてはこれが一番自然に受け止められるのではないか。

目次を見ると、このパートでも「間違いの喜劇」を扱われているのを確認できる。Ⅰの《だます》も、Ⅱの《迷う》も、大きく括れば《間違える》ことではある。《間違える―喜劇の状況》とあるのは、「間違えるから喜劇」なのかもしれない。
しかし、その「間違い」もいろいろあって、その構造をよく見分けた方がいいというのが、ⅠからⅢまでの流れか。

Ⅳ《語る》は、セリフについて扱っているので、直接「構造」とは言えないのでは?
しかし、セリフのスタイルが、仕掛けと結びついている、そういう作品もある。それこそ野田さんの作品はそうだろうし、井上作品でも「日本のへそ」「国語辞典殺人事件」は「ことば」そのものがテーマであり、「セリフ」「喋る」「語る」それ自体が、演劇としての仕掛けになっている。
ニシワキは英語が苦手だが、シエクスピアのセリフは、その韻律よって物語の展開や、舞台上の仮想空間をジャンプさせる、そんな踏み切り板のような役割を果たしているのではと想像している。それも、やはり仕掛けだろう。

Ⅴ《考える》は、構造として一番わかりやすいかもしれない。「劇中劇」は、《だます》《迷う》といった人物たちの認識や行動を扱う仕掛けに比べると、観る者に構造そのものを意識させる。
より大きな仕掛けとしてある。
あるいは、より下層の仕掛け、演劇が立ち上がる土台としてあるのではないだろうか。

では、欲張って、この本のそれぞれのパートをほぐして、演劇の仕掛けの在りかとしてひろってみる。

Ⅰ ●人物の認識のあり方。
意識的、主体的な言動、アクション。 (ここで前景のテーマが語られるのかな)

Ⅱ ●人物が巻き込まれる状況。
世界のあり方、不条理性、制度としての物語 (これが後景のテーマになるのかな)

Ⅲ ●出来事の蓋然性、偶然におきる事件性。
通常「ストーリー」を考えるといったときに扱われる領域。作品のリアリティを保障することになる。

Ⅳ ●ことば、音、俳優の身体。
人物の目的や出来事の因果などの「物語性」の前にある要素。

Ⅴ ●観客との関係性も含めた演劇的な基礎構造。
「異化」や「悲劇」「喜劇」を決定する

そのまま上位の方が上層で、下位になるほどその作品の土台と考えていいかも…。
ニシワキが「核」と呼び、手探りしているものは、より下層にあるのだろう。

いや、そう単純に垂直方向に積み重なっているとは限らない気もする。
ⅣとⅤを土台としたその上に、ⅠとⅡがあり、Ⅲはそれらの層を結ぶ網の目のような回路なのかもしれない。
そのように紡ぎ、編まれたテキストを戯曲と呼ぶのかもしれない。

随分ぼやけた話になった。
後半は特に。
が、ひとまず、そんな仮説(にもなっていないが)を立てて、前に進んでみるのがいいだろう。

も少し、それこそ『夏の夜の夢』か『検察官』でも使って、検証してみるべき?
あと、構成に関しては「起承転結」「序破急」「三幕もの」「ワンシチュエーション」などなど…やらねばならぬ、だな。

が、ひとまず、ここまでにします。
ふぅ…。

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