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「人」と「場所」の間には、そんなトランジスタ回路のようなものがある、きっと。

先週めずらしく北海道を出て、秋田にいました。

僕が、津軽海峡を越えることは滅多にない。おそらく5年ぶりかな。
その時も「あれ…飛行機ってどうやって乗るの?」「考えてみたら、もう十年以上北海道を出ていないな…。」などと思った記憶がある。今回も案の定、空港の手荷物検査機の前で立ち往生して「ごめんなさい」を連発してしまった。
そんな出不精(とも、ちょっと違うのだけれど)については、いくつか思うところもあるけど、今は措いておく。

秋田へ行ったのは、ある合宿があったのでした。
その話を。

コロナ禍になってから、編集者の藤本智士さんがはじめたRe:school(りスクール)というオンライン学校に参加している。

開校して二年が過ぎたのだけれど、僕はどちらかというと不登校? 幽霊部員? …ま、とにかく欠席の多い生徒なのだが、楽しく参加している。
(ほんとのことを言うと、めっちゃ楽しい。コロナ禍、僕はこのコミュニティがなかったら、頭の中が面倒なことになっていたかもしれない)

そもそも、このオンラインの学校は《先生が教壇に立ち、生徒は教科書を開きノートを取り…》といった「学校」「授業」のイメージとは、ちょと違う。
今、ホームページを見てみたら《オンラインスクール的サロン》となっていた。そう、サロン。でも、それだけでもない気もする。

学校に引き戻して喩えると、「空き教室」に近いかもしれない。

生徒たちがいつでも利用できる、鍵のかかっていない「空き教室」。
放課後、誰かを誘って宿題をやるもよし、お悩み相談をするもよし。それは図書室のようでもあり、保健室のようでもある。
誰かと共有したい話題があれば談話室や放送室にもなる。必要があれば、きっと図工室にも音楽室にもなるだろう。

黒板に、誰かの小さな夢が記されているのを見つける。
よく見れば他にも…決意、かなしみ、つぶやき、推し、愚痴、チョーク絵、相合い傘……落書きは新しいものもあれば、いつまでも消えないものもある。「これは残しておくべき…」と、黒板消しを手にしながら誰もが気にかけた文字…そんな言葉に出会う。

そこでの授業は学年も成績も関係ない。
科目も、生徒たちが今、関心のあるテーマから設定される。
授業での発表は、壁新聞のように教室に張ってあり、いつでもアクセスできる。

そうそう、空き教室は、よく部活に使われる。学祭の季節になると、吹奏楽部や演劇部が練習場として使つかったりして……実際、僕は二回ほどオンラインで演劇ワークショップをしてみた。

そんな場所。
(「学校」を卒業してからの年月の方が、人生の多くを占めるようになったおじさんは、学校の風景を少しロマンチックに書いてしまったけど…あと妄想も含んでるかな)

で、そんなネット上の「空き教室」に集う生徒たちの合宿が、秋田であったのでした。
札幌に帰ってきて一週間経つのだけど、なんだかすっきりしている。

なんだろう、このすっきり感は?

秋田では、おいしい食事、お酒(久しぶりの日本酒でした)をたっくさんいただきました。ごちそうさまでした!
海があり(夕陽は日本海に沈むのです)、山があり(鳥海山が奇跡的に綺麗でした)、田んぼ、瓦屋根、秋田杉(瓦や杉の木に馴染みのない道産子は目がいってしまう)…象潟の景勝、藤田嗣治の絵の前では「歴史」について思い巡しもした。
南部の《にかほ》から北上し、青空に立つ白く巨大な風車を幾つも数えながら……と、ただの観光のようでもありますが、観光は大事っす!

それだけではない。
メンバーそれぞれの場所を訪れることができた。
これが、よかった。

たとえば、にかほのほかに


たとえば、阿仁の山

他にも、薬局に行ったり役場に行ったり、現場、拠点をのぞかせてもらった。だからそれは名所名物だけではなく、「仕事」や「生活」を巡る旅でもありました。

出不精の僕には、どの場所の空気も新鮮でした。
きっとこのすっきり感は、そんな新鮮な空気をたくさん呼吸したからだろう。

秋田に向かう前日。
リュックに着替えを押込みながら「人に出会う」ことにワクワクしていた。Re:schoolがはじまって2年経ち、メンバーとは初のリアル対面。それぞれ仕事も世代も違う同窓生(いつもはオンラインの画面を通してだから《同窓》が相応しい気がした)が全国からやって来るのだ。楽しくないはずがない。

でもって、実際楽しすぎた。
だって学校の遠足と修学旅行と、それこそ同窓会をいっぺんににやっているようなものだもの。
そんでもって、「人に出会う」と同時に、「場所」について考えていたように思う。体で感じながら。

あ、今「場所」とキーボードを打って、久しぶりに思い起こした曲がある。
スティービー・ワンダー「太陽のあたる場所」、原題は”A place in the sun” 
名曲です。

いかん、話が飛びそうだな…。
この記事は、話を飛ばさずにレポートとして書こうと決めていたのに……ま、いいか。

検索したら、歌詞をコピペできちゃったので、ちょっと拝借。
一番だけ。

"A place in the sun" 

Like a long lonely stream
I keep runnin' towards a dream
Movin' on, movin' on
Like a branch on a tree
I keep reachin' to be free
Movin' on, movin' on

'Cause there's a place in the sun
Where there's hope for ev'ryone
Where my poor restless heart's gotta run
There's a place in the sun
And before my life is done
Got to find me a place in the sun

中学英語で、ほぼ理解できる詞です。
僕がこのレコードを聴いたのも、中学か高校かくらいの時で、その時から大大大好きな一曲。
時代は60年代で、黒人で盲目であるスティービーが、どんな思いで歌っていたのかは、70年生れの日本人の僕にはわからないけど。(ちなみに、この曲は彼自身のライティングではない)

《dream》《free》《hope》といったワードは、きっと大文字や太字にした方が相応しく、日本語訳も《夢》《自由》《希望》と掲げる感じの言葉遣いになるんだろうけど。

でも僕はいつもこの曲を聴きながら、そんな大きなテーマじゃなくて、もっと小さな物語を歌っているようにも感じていた。私の「のぞみ」「しあわせ」「ねがい」というような。

あなたの小さな悩みや願いでも同じだよ。
たとえ今、あなたがその場所にたどり着いていなくても、「場所」をイメージすることで前に進めるよと。

♪ むーゔぃの~ん むぅ~ゔぃ~のぉ~~ん 
(Movin’ on, movin’ on このフレーズが大好き)

なんの話かというと、「場所」の話でした。

「場所」が持つ力(ちから)って、あるよなと。
場所の「はたらき」といってもいいのかもしれない。
そこにいるだけでエネルギーをもらう、余計な力が抜ける、頭が回転しはじめる、気づいたら歩きはじめていた…なんてことがおこる。

自然にある場所だけじゃなくて、人の手が入った、手間をかけた場所でも、そのはたらきはあるだろう。そういう場所はやはり居心地がいい。

また、人がいることで、逆にその場所の力が増したり、解かれたりすることもあるかもしれない。
「人」と「場所」の間には、そんなトランジスタ回路のようなものがある、きっと。

あ、トランジスタというのは、電気信号を増幅したり、スイッチを切替えたりする部品のことなんですけど(僕も詳しくない)。
ちなみに、忌野清志郎も学校の屋上で聴いていたトランジスタ・ラジオというのは、小さな乾電池の電源でも、それを増幅して音を鳴らせるようにした携帯できる小型ラジオのこと。

で、ちょっと僕の仕事に引き寄せていえば、「人」と「劇場」がトランジスタ回路で結ばれ、そこに入力される信号が「言葉」や「物語」なのかもしれない。
きっとこれも、それほど的外れではない気がする。

そう考えると。
場所から「エネルギーをもらう」って書いちゃったけど…(「元気をもらう」という言い方もありますね)、秋田の旅でエネルギーや元気をもらったのではなくて、自分の中の何かを増幅してもらったのかもしれない。
うん、動き出したくなりましたもん。

ありがとう、秋田。
ありがとう、同窓生のみんな。

そろそろ話を閉じようかな。

じゃ、最後に「太陽のあたる場所」のお気に入りフレーズを、もう一つ。
サビの合間で、スティービーが呼びかけるんですよ。
ここで、いつも僕の胸は熱くなる。

You know
when times are bad
And you’re feeling sad
I want you to always remember
Yes, there’s a place in the sun

がんばりましょう。


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西脇秀之
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