私の生い立ちと展開②
前編①で #自己紹介 をしたので、後編では両親の所属している #宗教 と、補足で私の今後の展開について 書きたいと思います。
私の両親は #エホバの証人 というキリスト教新宗教の教団に属しております。そして、私が生まれた時には既にエホバの証人だったので、私は生まれながらのエホバの証人だったという訳です。
エホバの証人の信者の子供は、ネットではJW2世などと称されています。脱退した信者は元JW2世と呼ばれ、ブログや書籍を書いている方もたくさん居るので名前を聞いたことある方も居るでしょう。
エホバの証人は、日本の風習とは相容れない独特な慣習を持っていることで知られています。お墓参りや葬式にも参加しない、剣道や柔道の授業に参加しない、クリスマスや誕生日も祝わない、ないない尽くしの宗教です。
キリスト教の視点から見ても奇妙な教義も多々あり、地獄を否定したり輸血拒否という極端な聖書解釈も行っています。
エホバの証人は"内と外"の区別が激しく、かなり排他的な集団です。自分たちの宗教が唯一無二であると信じ、それ以外の宗教や無神論者を"世の人"であり救済の対象と見做しています。
それ故、彼らを救わなければならないという使命感に駆られて布教活動を行うのです。
皆さんの学校時代を思い出していただいても、学校に一人や二人くらいエホバの証人の信者が居たのではないでしょうか??
私もその一人でした。
私自身は現在エホバの証人から脱退し、キリスト教の競技自体にも疑念を抱いてます。ただ、エホバの証人からの脱却して日本という"世間"に馴染んだかと言えばそうでもありません。
このように書くと非難を浴びそうですが、日本という社会もとても息苦しく、エホバの証人以上にカルト的色彩を帯びているからです。
カルトから脱却し、また新たなカルトである同調圧力や空気に縛られた閉鎖的な日本社会に身を置いている‥そのような状況です。
カルトの環境も確かに異常ではありますが、日本教に縛られたこの国も、カルト並みに危ういのかもしれません。
以前読んだ本の中で『キリスト教圏は神の目を気にするが、日本は人の目を気にする。神より世間が上位にあるのが日本人の宗教観だ』という風に書かれているのを見て、なるほどど首肯したことがありました。
いずれ、この辺りの宗教論などについて書いていければと思ってます。
今後の展開〜私の体験談を誰かの役に立てたい〜
私の体験談は、決して華々しいものではありません。過去にホストやエンジニアとして働いたこともありますが、何かを成しえたという成功体験もないからです。
そうなると、失敗談を語り継ぎ、『君はこんな大人にならないように頑張ってね』と反面教師にしてもらうしかありません。
もしくは、成功体験も無く自己肯定感が低い人に励ましの言葉を送ってあげるサポーターの役割を担う事なら可能でしょう。
なぜなら私もかつては自分は何をやってもダメな人間だと卑下していた存在だからです。
仕事が上手くいかない、売上が上がらないというのは事実ですが、それが人間性の欠落であるかどうかは無関係です。
世の中は、悲しい事に美しさが正義ではないのです。
勝ったものこそ美しい事でありそれが正義になるのです。
それは、私自身ホスト時代に痛感したものであります。どんなに人柄が素晴らしく優しい人間であろうと、売れなければ実力主義の社会では見向きもされないからです。
だから私は、善い人間こそ早く稼いで、善意の金持ちになって下さいと切に願っています。
悪が栄えれば世の中は益々不公平や不平等がまかり通ってしまうからです。
私の失敗談を、ぜひとも皆さんの成功体験へと変えてください。
私は惜しげも無く自分の失敗を皆様にお伝えします。いくつかのブログで私の体験談も載せておりますので、どうかそれを見て励みとしてください。