
私の中学時代は。入学前に校長先生と面談をすることから始まった。今にして考えれば、特別支援学校や特殊学級ではなく、通常学級に入学させて良いものかをみるための確認だったのだと思う。
入学したときの感想は、特別支援学校と同じ教室に学園ドラマに出てくる身体障害を持たない人が30人以上いる。この人の多さに驚いた。
障害者だからと言って、特別扱いはしないと先生から言われ、書くことはまわりの人より時間はかかっていたが、試験時間は同じだった。
私が在籍していた学校には、当時エレベーターはなかっため、休み時間の階段移動は、介助員のほか、生徒にも手伝ってもらっていた。そのときに手伝ってもらったあとには、自分よりスリッパの色を見て。私より上の学年の人にはありがとうございました、と敬語を使っていた記憶がある。
クラスの席順は車椅子の私は、通路幅を確保しないといけなかったので最前列か、最後列だった。私のクラス係は、号令係だった。授業の始まりと終わりに「起立、気よつけ、礼、着席」という係だった。
体育の時間は、自分だけ別メニューで、介助員の先生とともに歩行器で歩いくことやストレッチなどをしていた。成長期に伴い身体障害による筋緊張がまさないようにという意味合いもあったので、これは貴重な時間だった。
私だけがいつも別メニューというのも飽きるので、たまに体育館の舞台からバレーボールの審判を行ったこともあった。
「どうして篠田は体育ができないのに体育が好きなのか」と聞かれることもあった。
体育祭では、車椅子だからという理由でひたすら見学しているのも嫌だったので特別支援学校のときのように他の人がトラック1週する間に私は5メートルを走る、というような特別な徒競走も行った。
また応援団に入った年もあった。
応援団に立候補する人たちは。優しい人たちだった。例えば、自分が緊張して太鼓をたたくスピードが遅くなっても、「ナイスボケ」とツッコんでくれたからだ。
「なんで篠田は。24時間テレビの障害者のように頑張らないのか、なんで自分が障害者になったか、知らないのか」と直球の質問を受けて、真面目に応えていた。
高校や大学になると会話がもっとオブラートに包んだものになると思うので、今になって考えれば、こういった質問も思春期や社会の荒波にもまれる良い体験だった。
好きな科目は、社会だった。好きだった理由は小学校のときに地理や歴史を学んだ記憶がなく、自分にとって新鮮な科目だったからだ。
林間学校や修学旅行もいい思い出になった。
ただ、書くスピードが遅くて、自分でわかっていてもテストに回答できなかったこともあったのでもう特別支援学校に戻っても良いかな、と思う心もあった。