【地歴日記 #4】 関東”唯一”の秀吉の城郭 『石垣山城』
こんにちは。
海城中高の地理歴史研究同好会の中1部員です。
3週間連続で城についての話でしたが、今週も城についての話をしていきたいと思います。
城が好きな方はたくさんいますが、その中でも石垣好きの方や、堀好きの方など色々な方がいます。
ちなみに僕は石垣好きです。
石垣には、綺麗に隙間なく積んでいるものや、自然の石をそのまま積み上げ、隙間が多い石垣などがあります。
このように、城によって石垣が違っているので、その城の特色が現れているところが石垣の魅力です。
さあ、今回紹介するのは…
石垣が魅力的な石垣山城!
この石垣山城は、神奈川県小田原市早川にあります。
名前を聞いたことがない方もおそらくいるのではないでしょうか。
しかし、この石垣山城を築いたのは…
あの天下統一を果たした豊臣秀吉!
石垣山城が築城されたのは天正18年(1590)豊臣秀吉が小田原城を包囲したときです。
この城は世に、石垣山一夜城などと呼ばれますが、それは、秀吉が築城にあたり、山頂の林の中に塀や櫓の骨組みを造り、白紙を張って白壁のように見せかけ、一夜のうちに周囲の樹木を伐採し、それを見た小田原城中の将兵が驚き士気を失ったためという伝説が残っています。
しかし、実際にはのべ4万人が動員され、約80日間が費やされたと言われています。
ここから小田原城がはっきりと見えます。
ここまで石垣山城の歴史について話してきました。ここからは、現在の石垣山城について話していきます!
石垣山城に自分が行ったのはなんと今週。その日は受験休みで、天気も良かったので、城に行くことになりました。
石垣山城は北条に見せつけるための城でしたが、長期戦に備え、本格的な城郭でもあることが分かりました。
石垣山城の石垣
築城するのに必要不可欠なのは石垣です。
石垣の上から相手を撃つことが可能になったりするためです。
石垣山城はなんといっても石垣が魅力的です。
関東で総石垣の城が築かれたのは、石垣山城が最初ともいわれています。
石垣山城は、自然石を加工しないで積み上げる野面積みという方法で石垣を積んでいます。
しかし、自然の形のまま石を積み上げていくと、石と石の間に隙間ができてしまいます。その隙間には「間詰石」という小石を詰めていきます。それによって、敵が石垣を登ろうとする時に足場をなくすことができます。
野面積みの場合、石は石切場から持ってきます。
石垣山城は険しい山の上にあるので、石切場から石を持ってくるだけでも相当苦労したのではないかと思います。当時の苦労をよく伺うことができます。
石垣山城では石垣をつくるだけでも相当の労力を使うことが分かりました。
それほどの労力を使ってできた石垣は決して脆いものではなく、丈夫でした。
1923(大正12)年9月1日正午2分前に発生した、マグニチュード7.9と推定される、関東大震災によって、天守台などは崩落したが、南曲輪や井戸曲輪は崩落を免れました。
地震によって崩落する危険性があるということが、石垣のデメリットでした。
しかし、石垣山城の石垣は見事にそのデメリットを克服しました。
皆さんはこれを見て石垣山城に行ってみたくなりましたか?石垣以外にも沢山の魅力がありますが今回はここまでです。
この記事を見て石垣山城に行ってみたいと思って頂けたら幸いです。
では次の活動報告でお会いしましょう。
それではまた。
以下写真(筆写撮影)
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