見出し画像

【地歴日記 #24】 姫路城に行ってきました!

初めまして、海城地歴研の1年生です。いよいよ九月も半ばですね。

本日は夏休みに行った姫路城について書かせていただきます。

新幹線で姫路駅に着いたところから、もう姫路城が見えました。

姫路駅から撮った姫路城。姫路市で最も高い。

姫路城の景観を保つため、景観のために、電気を地中から通していて電柱を作っていないそうです。また、条例で姫路城より高い建物を建てることは禁止されているそうです。

そして姫路駅から歩くこと約15分、姫路城に到着。

門を入った先には、天守が見えます。

姫路城。白鷺のごとく白い。

この姫路城は、東の豊臣秀頼、西の毛利輝元・加藤清正・福島正則らの大名が徳川に戦争を仕掛けた時の防衛拠点として作られました。

そのため黒田官兵衛が作ったものに加えてさらに強固なものにされました。姫路城には、三重の堀がありました。そのため姫路城に攻め入るためには堀を三つ越えることが必須になります。また、3000の鉄砲や弓を打ち込むための「狭間」がありました。

さて早速入っていきます。(有料)

まずあるのは堀と正門を突破した兵たちを待ち受ける「いの門」。

いの門。一見普通の門だが…

この「いの門」、石を落とす「石落とし」があります。そこに狭間から猛攻が来ます。

そして「ろの門」、急カーブを曲がった先にある「はの門」、鉄砲や弓矢で攻撃する「武者窓」と低い天井の上から敵兵が飛び出してくる仕掛けがある「にの門」…などの門と山のようにある狭間を何とかくぐり抜けて「水一の門」の石垣を見ると、何やら下のような金網に覆われた石があります。

この石は「姥ヶ石」といいます。

姥ヶ石。

これにはこんな話があります。秀吉が姫路城に石垣を築こうとしましたが、なかなか石が集まりません。その時、貧しい老婆が「私は年寄りでなにもできないからせめてこれを石垣に使ってください」と商売道具の石臼を差し出しました。秀吉は喜び、早速石垣に使いました。この石臼が姥ヶ石です。

その後、「水一の門」「水二の門」「水三の門」「水四の門」「水五の門」の五つの門をくぐり抜けてようやく天守閣に到着しました。

これは武具庫の写真で、上は火縄銃、下は火薬を入れる袋と火縄です。

そして、天守閣の最上階である六階からの景色はさぞよかろう思っていたら、予想を飛び越えた景色でした。

姫路城天守閣六階からの景色。

姫路城は夜もきれいです。夜はライトアップがされて、とてもきれいです。

夜の姫路城。

説明は以上です。知っている人も知らない人も姫路城にぜひ行ってみてください!

次の記事もお楽しみに!