友だちが、きゅうに、一万円札をくれた
友だちが、きゅうに、一万円札をくれた。
うれしかった。どうしようかな。お肉を食べるか、靴の中敷きを新調するか、こたつを導入するか。
いろいろ考えて、髪を切りにいった。
「年末切りにおいでよ」
ということばがなんとなく耳に残っていた。
前に切ってから一ヶ月ちょっと。髪はひきつづきよろしくくるくるしてくれていたのだけれど、おもいきって、切りにいった。
この1ヶ月ちょっとは、節目だった。死ぬまでに会いたかったひとに会えて、ひさしぶりに人前で話す機会もあった。すこし気持ちをいれかえたくて、パーマをあてた。
つかれがたまるとニキビができるとか、胃が荒れるように、自分のばあいは、えりあしにたまる。
えりあしをさっぱりしておきたかったのだ。
堀尾貞治さんの展示を見てから、LEWESへ向かった。
LEWESのみんなは、会うたび髪であったり、メイクであったり、服であったりが変わっているから、いつもあいさつにどこか、はじめましてが含まれていて、不思議な気持ちになる。
変わらないことは、変わり続けることなんだとおもう。変わり続けることが、変わらないことなんだと気づかせてもらう。
「髪のことしかできないからなあ」とゆらさんは話していたけれど、この一ヶ月間はインタビュアーになったり、社長になったり、ころころ役割を変えないとやっていけない一月だったから、しかできない、にたくさん支えてもらった。
りょうくんにシャンプーをしてもらいながら、高校生のとき通っていた美容室の話をした。
美容室をえらぶ、にいく意味ってなんだろう。
もちろん髪を切ってもらうことにある。けれど、それだけじゃない。DKNYって書かれたニットかわいかったなとおもって一年ぶりに古着屋さんに立ち寄ってみたり、店内で流れていたフランクオーシャンのblondeのレコード、かえりにそれを聴きながら神戸のまちを歩いてみたり。そうやって、背中丸まりがち、寒くて肩こりがち、閉じこもりがちな自分に、違う要素を取り入れてみる。
そうやって、暮らしが変わっていく。