鴨三社紀行 【奈良県御所市】 その2
葛城一言主神社
高鴨神社を出て、北へ車を走らせます。ものの5分ほどで右折すると、ぐるっと回り込むように道が180度廻ります。なんて走りにくい道。でもこの道を通らないとこの神社へは行けないのです。ただ、車のハンドルを切っている最中から背中はビリビリ!やっぱりここも凄い神社に違いないと確信しました。
農道のような参道を通り、駐車場へ。車のドアを開けて地面を踏みしめると高鴨神社よりは感じ無いものの神域だとハッキリ分かるほどの空気感です。ここも面白い、期待感が益々膨らみます。
一の鳥居は駐車場よりも手前にあるので、歩いて鳥居まで戻ります。
蜘蛛塚
一の鳥居を抜けると、左手の道脇に蜘蛛塚があります。昔この地区には土蜘蛛が住んでいた伝承があるようです。その為人、身短くして、手足長し。とも、素戔嗚尊のエピソードを思い浮かべますよね。(手長、脚長)葛城近辺には土蜘蛛の伝承も多数有るようで、ここも考察のやり甲斐がありますね。
手水舎で清めてから、いよいよ本殿に行く階段を登ります。手水舎の横には祓戸社があるのですが、御祭神は記述が無いので分かりませんでした。
圧倒的な存在感(本殿)
階段を登り切ると、授与所が右手に見え、左手に拝殿がド〜ンと見えます。背中の感覚はビリビリしてますが、それよりも神社の境内が凄い力でピリッとつま先から、足裏から感覚が昇ってきます。そして拝殿であまり本殿は見えないのですが、拝殿を越えて本殿の存在感がもの凄いのです。
神木やおみくじ社なども見えるのですが、否応なしに拝殿前へと足が向きます。「ここも凄い神社やで」嫁に言うと、「私でもなんか分かる」と言いました。
ここで、この神社の御祭神である、一言主大神とはどのような神様でしょうか?
一言主神社HPより ↓
本社に鎮まります一言主大神は、第二十一代雄略天皇(幼武尊)が葛城山に狩をされた時に、顕現されました。その時の次第が『古事記』『日本書紀』に伝えられていますが、『古事記』の伝承は次のようなものです。
またある時、天皇葛城山に登り幸でます時に、百宮人ども、悉に紅き紐著けたる青摺の衣を給はりて服たり。その時にその向ひの山の尾より(尾根づたいに)、山の上に登る人あり。既に天皇の鹵簿に等しく、またその束装の状、また人衆も、相似て傾かず。ここに天皇望けたまひて、問はしめたまはく、「この倭の国に、吾を除きてまた王は無きを。今誰人かかくて行く」と問はしめたまひしかば、すなはち答へまをせる状も、天皇の命の如くなりき。ここに天皇いたく忿りて、矢刺したまひ、百官の人どもも、悉に矢刺しければ、ここにその人どももみな矢刺せり。かれ天皇また問ひたまはく、「その名を告らさね。ここに各名を告りて、矢弾たむ」とのりたまふ。ここに答へてのりたまはく、「吾まづ問はえたれば、吾まづ名告りせむ。吾は悪事も一言、善事も一言、言離の神、葛城一言主の大神なり」とのりたまひき。天皇ここに惶畏みて白したまはく、「恐し、我が大神、現しおみまさむとは、覚らざりき」と白して、大御刀また弓矢を始めて、百官の人どもの服せる衣服を脱かしてめて、拝み献りき。ここにその一言主の大神、手打ちてその奉物を受けたまひき。かれ天皇の還り幸でます時、その大神、山の末に満みて、長谷の山口に送りまつりき。かれこの一言主の大神は、その時に顕れたまへるなり
ここだけ読むと全く何の神様かは分かりません。ただ、ヒントは続日本紀にあります。続日本紀では、雄略天皇と一言主大神が出会い、一言主大神に無礼があったとして、事もあろうか土佐国に流刑にするのです。何故土佐なのか、こんなに遠い場所へ流刑にされるのは、かなりの重罪です。しかも神様ですよ、天皇よりも神様の方が上では?と思いますよね。しかしこのヒントで一言主大神が誰なのか、推定できたのです。
土佐一宮である、土佐神社の御祭神は味鋤高彦根神(アジスキタカヒコネ)なのです、合祀として一言主大神も祀られていますが、大国主命の御子神である味鋤高彦根神が土佐で祀られている理由が少し見えてきた気がしませんか?大国主命の御子神として名前が出てくるのは、事代主神、建御名方、味鋤高彦根神の三柱です、ただ、事代主と味鋤高彦根神は出雲を変な形で居なくなります。つまり僕はこの二柱は同一神だと考えています。
※詳しくは別の機会にこのno+oで解説していきます。
もっと深掘りしないと
ここが凄いパワーの神社だと言うことは分かりました。鴨三社には入っていないものの、味鋤高彦根神との関係も深い神社だと言うことも、僕の中では納得出来ました。ずっと味鋤高彦根神を追いかけている身としては、ここへ参拝したのは必然だと思えました。呼ばれたのかな?今までノーマークだった一言主大神も詳しく調べる必要が出てきました。僕の今までの意識では、現人神で神様というよりは何かの化身のようなイメージでした。でもどうも隠されてしまった神様のような気がしてきました。
味鋤高彦根神とも関係が深く(同一神かも)重要な神様であると思います。
この神社と山(葛城山)を挟んだ西側には建水分神社(たけみくまりじんじゃ)があり、ここの御祭神は、天御中主神(あめのみなかぬし) 天水分神(あめのみくまり) 罔象女神(みつはのめ) 国水分神(くにのみくまり) 瀬織津姫神(せおりつひめ)と非常に興味深い神様ばかりです。神社の名前の一番前にも[建]の字も入ってますね。ワクワクしてきました。
さて、稲荷神社とかもここにはあるので、稲荷神社とは縁も深いので参拝して、次の神社である、鴨都波神社(下鴨社)に向かうことにします。