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いわゆる"クリスマス"と呼ばれているあれはただの家庭内忘年会であって、そこに宗教的意味を見出してる人なんていませんよ。あと恵方巻とかいう謎文化。

※各宗派の細かい分類だのなんだのは省いてます。本質ではないので。

お寺で葬式、神社で初詣、そしてクリスマスという言い回しあるじゃないですか。日本人は節操がないねみたいな文脈でよく使われるあれ。

ちょっとまってくださいよと。
言葉の綾というか絶対無意識に使ってるでしょ。

お経を聞いて線香上げたり、賽銭お守りお焚き上げ、ニ礼ニ拍手一礼と、少なくとも宗教的行為としてふるまうべきとされている前者二つと、家でケーキ食べておもちゃ貰うだけのパーティって明らかに種類が違いますよね。

例え形式的にでも教会に出向いて聖書の小話聴いたり讃美歌を歌ったりしてます?絶対してないでしょ。父と子と聖霊の名において、アーメン?神の存在感じてます?

一般的にいわゆるクリスマスと呼ばれているあれはただの家庭内忘年会であって、そこに宗教的意味を見出してる人なんていません。

あれは外国のライフスタイルが、もっと言えば消費喚起の行動様式が輸入されただけで、外国の宗教が浸透したとはとても言えませんね。別にやること自体は悪いことではないと思いますけど。

それをもって多神教だとか八百万の神がとかいうのは無理がありましょう。

まじめにやるならチキンじゃなくて七面鳥だろって。ケーキも謎。映画とかでケーキ食べてるキリスト教圏人いる?あと教会行けと言っておるのに。

重箱の隅をつつき始めたらきりがないですけど、さも何でも知ってる物知りみたいな雰囲気を醸し出そうとしてその言葉を使うなら、少なくともまず自分で隅をつついてから発したほうがいいと思いましたね。

恵方巻ってのもよくわからないんですよね。本当に突然流行ったように見えます。定着しつつあるのすごい。

すごいけど、あれは何なんだろうって。

僕があれを苦手なのは単純に魚介類が食べられないからであって、決して

「以前は影も形も無かった、商業主義の似非宗教行動にも拘わらず、さも社会的に認知されているかのように吹聴する連中が不愉快だから」

とかではないし

「根拠や経緯を自分の頭で考えようともせず、まるで小学校で教師に言われるがまま従っていればいいという類の思考停止で民主主義の根幹を破壊する衆愚になりたくないから」

などではないです。多分中身が肉だったら食べたかもしれません。むろんナイフで切りますけど。

自分の口より大きなものをかぶりついて食べるって文化的にマナー違反感がちょっとあるんですよね。調べれば調べるほど胡散臭いんですけど、多分そういう美意識とか日本的常識みたいなのをあんまり気にされない方が創った”文化”なんでしょう。方角にこだわるのも何となく大陸っぽいし。オリエンタル。

まあ、例の七面鳥や餅/赤飯を筆頭に、何か特別な食事を以て行事を楽しむという気質は世界中にあるし、それをまねて新たに商売が生まれても別にいいし、もう20年くらいしたらもう少し洗練されてくるかもしれません。

もともとなんの根拠もないのなら、どう改変しても自由でしょうし。
なんか一日で650億くらい売り上げるらしいじゃないですか。そりゃやめられませんんよね。

それに、なんというか、文化って創れるんだなって思いました。なんの宗教的バックグラウンドも根拠もないのに、よくわからんけど幸福になれるらしいということでこれだけのムーブメントを起こせるのなら、例えば誰かがお盆には死んだ先祖の霊を元気づけるためにデスメタルを流しましょうって言い続けたら文化として定着させることもできるってことですかね。

お墓の方角に向かって、できるだけ大きな音量で、黙って聴きましょうみたいな。

今年のおすすめはバーズムですみたいな。

夢がありますね。

この国にはっきり定着したといえるのは二つだけ。

基本的に神社は土地を、寺は民を。用途が違うんです。
普通に両立してます。全然変じゃないです。

みんな会社と家庭の両方大事にしてるじゃないですか。がんばってえらい。その二つで充分なんですよ。わかってくださいよ。

使い分けてるだけなんですよ。そもそも多神教とか無宗教って言葉を使う人は、その言葉の本来の意味すら解ってないと思う。

そうやって考えたらキリスト教的なものって何か日本に文化として定着してますかね。

結婚式がありますけど、あれもまあ本当に牧師なのか神父なのか僕にはよくわかりませんけどやってるの教会じゃなくて結婚式場ですからね。

本物のチャペルでそういう人にお願いして、本当の神様に誓ってるわけじゃないですよね。洗礼も受けてないのに誓いもなにもないんで。

それっぽいことをやってるだけのコスプレに過ぎない。November RainのPVですよ。

自分達が一番わかってますけどね。



その二つ以外が定着しない理由として最も重要なのは、人の信頼の根拠は歴史にある、というところだと考えています。法系が辿れたり、延喜式に載ってたり、歴史と体系が整っている宗教じゃないと。

過去が今に続いているという、信頼のある流れがないと、今の自分の立ち位置が揺らぎます。

自分の父母、祖父母が、歴史の教科書に出てくるような先人たちが、その寺社仏閣、そして神仏が自分よりも大きな時間の中でそこに存在しているって思わないと、ただの根無し草になっちゃいますからね。精神的に。

新興宗教や民間信仰みたいなのが、いまいち大きな勢力になれないのはそのあたりだと思います。

身と心をささげるのに適切なものかどうか、やっぱりちゃんと見てるんですよ。
頭のいい人が思うほど、人はバカじゃないんです。

外人や出羽守に節操がないなんて言わせません。

それくらい宗教的な概念って大切なんです。
その皮をかぶって商売のネタにする連中には反吐がでますね。

おしまい。




※おまけ

釈迦も一応実在の人物とされていますね。

まあ脇から産まれてすぐ7歩歩いて「天上天下唯我独尊」と言ったとか、そんな子供嫌ですよ。子育て楽そう。まあお母さんすぐに亡くなっちゃうんですけど。

うちのは1年以上経ってようやく歩くようになって、ごはんとおもちゃ指差しして「デッテ」とか「ブヮ」っていうようになったくらいです。

仏への道は遠い。

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