ビスクドールの夢
これは、私が社会人になってできた友人から聞いた話です。
私が高校生の時、クラスに転校してきたA子という女の子がいました。
北海道から転校してきたその子は、かなり年上の男性と恋愛関係となったとのことで、それに反対した両親が距離を置かせるために、叔母夫婦のいるこの地方に、一時的に引っ越しをしてきたようでした。
A子は、見た目もかなり大人びた子でした。
正直、わたしの苦手なタイプの子にみえましたが、たまたまその子と隣の席となってしまいました。
担任からも、仲良くしてやってくれと、直々に言われたこともあり、お昼ご飯を一緒に食べることにし、その時に転校してきた事情など、いろいろ聞かせてもらいました。
「私はこんなとこに来たくなんてなかった」みたいな感じで、拒絶反応が強めかと思っていましたが、意外と普通に接してくれました。
ただ、終始悲しそうな眼をしていたのが印象に残っています。
A子はその見た目から、男子に人気が出て、女子の一部からやっかみを買うといったことは、ありましたが、基本は、私以外の生徒とはあまり接することなく、一見、平穏に過ごしていました。
わたしもA子と打ち解け、お昼をほかの友達含めて一緒に食べたり、タイミングがあれば、一緒に帰ったりするようになりました。
しかし、日に日に、あきらかにA子は元気がなくなっていきました。
わたしは、やはし、北海道に帰りたいのだろうと思っていましたが、違いました。
確かに彼女は北海道に帰りたがっていましたが、それでは説明がつかないほど、彼女は衰弱していったのです。
目の下のクマは日に日にひどくなり、肌も張りをなくしていきました。
私は気になって彼女に何かあったのではないかと、たずねました。
すると、意外な答えが返ってきたのです。
A子は急に決まった引っ越しということもあり、叔母夫婦の家に住ませてもらっていました。
その叔母夫婦の家に住み始めてから、毎晩同じ夢を見るようになったというのです。
当時、A子は、叔母さんの、亡くなったお子さんが使っていた子供部屋を使わせてもらっていました。
叔母さんのお子さんは、わたしたちより3歳年上でしたが、3年前に病気で亡くなってしまったとのことです。
その部屋には、叔母さんが娘さんに幼いころ買ってあげたというビスク人形が置いてあったのですが、その人形が毎晩、A子の夢にでてくるというのです。
夢の中のA子は、どこかわからない暗い場所を彷徨い、そのうち泣き声が聞こえてきます。
泣き声が聞こえるほうに行くと、赤い服を着た女性が屈みこんでいるのを見つけます。
どうやら、その女性が泣いているようです。
A子が声をかけたとたん、その女は体当たりをし、馬乗りで首を絞めてきます。
そこで、目が覚めるのですが、直前にみえた女性の顔は、どことなく、部屋に置いてあるビスク人形に似ていたといいます。
他にも、帰宅して部屋に帰ろうとすると、明らかに誰かが言う気配を感じたり、部屋で過ごしていると、人形に見られているような視線を感じるとのことでした。
叔母さんが大事にしている人形なので、相談しづらいと、A子は言います。
しかし、明らかに体調をくずしているA子をみると、このままでいいわけがありません。
話し合った結果、いちど私が、A子の部屋に泊まりに行き、状況を確認してみようということになりました。
私自身、心霊現象よりも、A子の精神の不安定さから、そういった夢をみているのではないかと、考えていたということもあります。
ほとんどの人は、まず、精神的な影響を疑うのではないでしょうか?
私が泊まったところで、なにが出来るかはわかりませんでしたが、少しでも、A子が安心してくれれば、と思ったのです。
実は、A子の叔母さんとは初対面ではありませんでした。
私の家までの帰り道にA子の叔母さんの家があったので、何度か顔を合わせたことがあったのです。
あまり時間を置くのはよくないと思い、二日後の金曜日に泊まりに行くことになりました。
事前に叔母さんにも伝えたところ、こころよく、了承をいただけました。
泊まりに行くと、食事を少し豪勢に作ってくれていたり、叔母さん、叔父さんともに、歓迎してくれました。
一人娘を亡くしたこともあるのか、二人はA子を可愛がってくれているようです。
食事を終え、お風呂を借り、何気ないおしゃべりで、あっという間に時間は過ぎ、寝る時間になりました。
私たちは、それまでリビングで過ごしていたので、その時はじめて私は、人形のおいてある部屋に入ることになります。
部屋に入ると、左手置く、窓際の本棚の一番上に、赤い服、赤い帽子のビスク人形がありました。
「あの人形?」と私が聞くと、A子は、人形を見ないようにしているのか、うつむき加減に、うなずきます。
私は霊感も何もないからなのか、正直普通の人形にみえたので、そのことをA子に伝え、安心させようとしましたが、あまり効果はなかったようでした。
そのあとは、たわいもないおしゃべりをし、時間を過ごしました。
少しはA子もリラックスできたように感じました。
おしゃべりしていると、あっという間に時間は過ぎ、すぐに寝る時間となりました。
私がいることによる安心感からか、A子はすぐに寝ました。
私はもともと、寝つきが良いので、A子が寝てすぐに、いつの間にか寝ていました。
わたしは、どことも知れない薄暗い場所にいました。
しばらく彷徨っていると、女の人の泣き声が聞こえてきました。
その声を聴いて、私は、ぞっとしました。
A子の夢の通りだったからです。
しかし、そんな心とは裏腹に、わたしは泣き声のするほうへ向かっていきます。
やがて、赤いドレスを着た、女性の背中が見えました。
私は、必死で夢の中の私を止めようとしますが、無駄でした。
A子の夢の通りに、私はその女性に声を掛けます。
すると、信じられない速さで、立ち上がったその女性が、私に体当たりをしてきました。
倒れた私に馬乗りになると、その女性は、私の首を絞めてきました。
苦しさで、意識が薄れていく中見た女性の顔は、確かにビスク人形を思わせるものでした。
息苦しさにより、私は跳ね起きました。
夢のはずなのに、実際に首を絞められていたように、荒い呼吸がしばらく続きました。
少しして落ち着いた私の耳に、A子の苦しそうな声が聴こえてきました。
A子はうなされ、寝汗を大量にかいています。
私もかなり汗かいてるな、とふと気づいたことをおぼえています。
私は、A子を揺り起こそうとしますが、A子はおきません。
私は、とっさに、叔母さん夫婦の部屋に行き、助けを求めました。
寝おきながらも、私の様子から、ただならぬものを感じたのか、慌ててついてきてくれました。
尋常じゃない寝汗をかきながら、うなされているA子を見て、叔母さんが心配そうに駆け寄り、揺り起こします。
叔父さんは、万が一に備え、いつでも、救急車を呼べるようにしておこうと思ったらしく、部屋に携帯電話を取りに行ったりしていました。
しばらくして、A子は急に眼を見開いたかと思うと、私同様、荒い呼吸をしながら、おきました。
叔母さんはA子の背中をさすり、叔父さんが水を持って来てくれました。
落ち着いたA子を交え、そのまま何があったのかを叔母さん夫婦に話すことになりました。
やはりA子は、話ずらいということで、私から現在起きていることを話しました。
A子が毎晩同じ夢を見ていること。
その夢に出てくる女性が、どことなく、部屋にあるビスク人形に似ていること。
その夢について、状況を確認するために今日私が、泊まりに来たこと。
そして、わたしも同じ夢を見たこと。
以上を、話しました。
私も同じ夢を見たことについては、A子も驚いていました。
続いて、A子が今日の夢がいつもと少し違ったと言い出しました。
女性に首を絞められるところまでは、一緒なのですが、その後、A子は女性を突き飛ばしたらしいのです。
何とか逃げようとするA子ですが、女性に追いかけられます。
背後から、がちゃがちゃ、という音とともに、女性が追いかけてきたとA子はいいます。
振り向くと、女性は、関節をあり得ない方向に曲げながら追いかけてきたそうです。
今思うと、赤いドレスの女性が、等身大人形に変わって追ってきているような感じだったと、A子は話していました。
「マッテ、マッテ、マッテ、マッテ、マッテ、マッテ、マッテ、マッテ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
人形は、ずっと「マッテ」と言いながら、追いかけてきて、
永遠に追いかけられるのかと、絶望しかけたときに、私や叔母さんの声が聴こえ、眠りから目覚めることができたとA子は語りました。
話を終え、信じれれないという顔の叔父さん。叔母さんは、少し複雑そうな顔をしていました。
時間は、明け方3時頃になってたと思います。
叔母さんの提案で、人形を叔母さんの部屋に移し、叔母さん夫婦にも何か起きたら、お祓い等の対応を検討する、ということになり、その日は眠ることになりました。
寝ぬれるか不安でしたが、いつの間にか、眠りについていました。
朝起き、A子と食卓に行くと、叔母さんが、あの後のことを話してくれました。
叔母さんも、あの後、夢を見て、あの人形が現れたそうなのです。
ただ、人形は、じっと叔母さんを見つめるだけで、語りかけたりはしなかったそうです。
ただ、叔母さんは、「もう何も起こらない気がする」と話してくれました。
実際その日から、A子は夢に悩まされることはなくなりました。
叔母さん夫婦にも、とくに何も起きなかったようです。
その後、A子は結局北海道へ帰っていきました。
どうしても、相手の男性のことが忘れられなかったようです。
A子がいたのは1か月ほどだったと思います。
彼女が北海道に帰った後、連絡を取り合うということもしませんでした。
しかし、忘れられない体験として、私の心に刻まれています。