悪鬼の終焉。
『ヒヒヒ・・・お前の散り方はどんなかなぁ?
俺を楽しませてくれよぉ。』
ゆらゆらと陽炎のように身体を揺らし不敵に挑発する岸辺・・・俺は奴の動きに注視し、出方を探る。
次の瞬間、岸辺はのそりと前に出たかに見えた・・・だが、俺の動体視力がその動きを捉えたかと思った瞬間には、既に奴は俺の懐を侵略していた。
『!!』
まるで瞬間移動でもしたかのような感覚に襲われた俺は、とっさにバックステップで距離を取る。
奴の右腕は既に振り切られており、俺のTシャツは微かに切り裂かれ、腹には一線の血が滲み出てる。
(何だコイツは?、予備動作の瞬間には懐に入られていた・・・とっさに後方へ飛んだから良かったが、あとコンマ何秒でも遅れてたらヤバかった。)
俺は額から嫌な汗が出るのを感じると、再び岸辺を凝視した。
白目も瞳も感じられない、どす黒く濁りきった目からは表情も読み取れず、思考も分からない。
尚且つ、奴の目はどこを見ているのかも分からない・・・どう動き、どう攻めるべきか考えている中、再び岸辺の上半身は、まるで前のめりに倒れるかのように、のそりと動く。
(来る、ここだ!)
先程のタイミングを何となく感じ取っていた俺は、その瞬間、前方にナイフを突き立てて行った・・・俺の相棒はブスリと奴の左肩に深々と刺さり、確かな手応えを感じる。
(よし、イケる!)
俺はそう確信し、すぐに左手のナイフを奴の脇腹に突き刺して行く・・・ズブリと刺さるその感触に確かな手応えを感じる。
だが何故か、強烈な違和感も覚える。
『いいねぇ・・・こんな感じで抵抗する獲物は久しぶりだねぇ。』
奴は恍惚の笑みを浮かべ、全く意に返さないかの如く俺の攻撃を被弾すると同時にナイフを薙いで来た・・・この反撃を予想していた俺は突き刺していたナイフを抜き、再びバックステップでかわす。
しかし、俺が動くと同時に岸辺もまた動いており、既に俺の眼前には奴が迫っている・・・直後に繰り出されるのは猛烈な刺突の連撃であり、ほぼ一瞬で3本の刃が正確に俺の眉間・喉元・心臓を狙って来る。
極限まで集中力を高めた俺の動体視力は、それらを全て捉え回避する・・その合間を狙い、カウンターでの反撃を試みるも突如、奴のナイフは軌道を変え予測しない方向から飛んで来る。
『くっ!』
斜め下から曲線を描くように飛んで来たナイフを何とかかわすが、右頬をざっくりと斬られる。
だが、俺は奴が右手のナイフを振り切り体勢が戻りきっていない僅かな隙を見逃さず、カウンターで左のナイフを奴の肋骨付近から斜め上に突き刺し、捻り上げて行く。
常人なら致命傷のレベルであり、この感触に確かな手応えを感じる。
しかし・・・ナイフを振り切り、伸びていたはずの奴の右手は、ほぼ垂直に俺の左肩に深く突き刺さっていた。
『ぐうぅっ!!』
直後に俺の腹には岸辺の貫き手が襲い掛かり、俺は三度バックステップでかわそうとするも、ダメージから一瞬身体の反応が遅れ、僅かに被弾する。
『もっともっと抵抗してくれよぉ・・・その程度じゃ俺は足りないなぁ。』
(コイツ・・・効いてねぇのか!?)
俺のナイフは3度、奴の身体を捉えている。
しかも、その内の2発は明らかに人間にとっては致命打となる箇所への攻撃である・・・だが、奴は平然と何事も無かったかのように反撃をしてくる。
否、そればかりかまるで俺の攻撃を受ける事を楽しんでいるかのようだ。
『ちぃっ、変態野郎が!・・・バリキモいじゃんよぉ。』
コイツは生半可な攻撃ではビクともしねぇ、ならば確実に仕留めれるべき箇所を狙い、強制的に動けなくさせるしかないじゃん。
俺は無闇に攻撃を当てるのではなく、ピンポイントで狙うべき箇所を決め、再び構えた。
『さぁ、もっと抵抗してくれぇ!』
ゆらりと上半身が傾いたと思った瞬間、やはり岸辺はその直後には俺の前に迫っていた。
再び降り注ぐ豪速のナイフの連撃、全て急所狙いな上にスピードも先程よりも増している・・・辛うじて回避をするも僅かにシャツや皮膚が薄く斬られる。
そして回避と同時に俺は奴の心臓目掛けナイフを振り抜く・・・だが、僅かに体軸をズラしたのか刃は深く突き刺さるも、やはり致命打の手応えは感じられない。
そして、それと同時に変則的な軌道で再び岸辺のナイフが俺の側頭部を目掛け振り降ろされる。
奴に刺さっているナイフを抜き、後方へバックステップすれば回避出来るが、先程のやり取りから、このパターンでは同じ事の繰り返しになり状況を打開出来ないと踏んだ俺は、むしろ岸辺の懐に潜り込んだ方が安全圏と考え、突き刺していたナイフを捻り上げながら、ダッキングで岸辺の斬撃をかわし更に半歩踏み込み、ゼロ距離の密着状態へと持ち込んだ。
そして奴の身体からナイフを抜くと同時に左手のナイフを真下から岸辺の喉元に向け振り上げる。
しかし次の瞬間、奴の身体は残像を残し視界から消えていた・・・刹那に頭上から危険を感じた俺は、直感的に横っ飛びし地面を転がり、それとほぼ同時に岸辺の巨体が宙から舞い降り、先程いた場所にロングナイフが突き刺さる。
『なかなかやるねぇ・・・今の攻撃をかわしたのはエイジという男に続いてお前が2人目だぁ。』
またも嫌らしい笑みを浮かべながら、そう呟く岸辺にエイジの言っていた言葉の意味を理解する。
確かに、こんな薄気味悪い相手、いつまでも相手をしていたくは無いねぇ。
だが、ここで俺は幾つかの事を覚る・・・それは、奴の動きには予備動作がほとんど無く、更に一切の音が無い事だ。
先程のジャンプも予備動作が見られなかった為、まるで目の前から突然消えたかのように感じた・・・更に一切の音が無かった為に次の攻撃の予測も難しかった。
立ち上がった俺は、再び奴の動きを注視する。
のそり・・・奴の上半身が僅かに傾く。
このタイミングは既にインプットしていた俺は、奴の上半身が動いたと同時に再び前方に向けナイフを薙いだ。
しかし俺の目論見は外れ、薙いだナイフは虚しく空を切る・・・岸辺は正面からではなく今度はサイドへ回り込んでおり、次の瞬間には凄まじい横からの斬撃が俺のボディを襲っていた。
とっさに左のナイフを間に入れ、直撃を免れるもそれでも俺のガードは弾かれ、胸は深く抉られる。
『がはぁっ!』
鮮血が舞い、激しく後方に吹き飛んだ俺はガードレールに叩きつけられ、危うく乗り越えて下の沼に落ちそうになる。
僅かに見える夜の沼もまた不気味であり、まるで底無し沼のように感じられる・・・
(クソが、こりゃマジでシャレになんねぇぞ。)
一連の動きから岸辺の特徴とカラクリを把握した俺は、奴とは恐ろしい程に相性が悪い事を悟る。
奴の予備動作は上半身の僅かな動きだけ・・・ほとんど足の動きが見えないのは恐らくは独特の足捌きによるものだろう。
加えて奴の動きには一切と言っていいほど音が無く、どす黒い目はどこを見ているのかさえも分からない。
動体視力に自信のある俺にとって、動きが分かれば全ての攻撃を回避し反撃に転じる事が出来るが、僅かな予備動作だけしか見て取る事が出来なければ相手の目の動きや音で次の攻撃を予測し、反撃に繋げるしかない・・・だが、奴にはそれすらも無いに等しい。
以前、我妻ちゃんと話をした際に相性の悪さは致命的に勝敗を分けると聞かされていた俺は、一抹の不安がよぎる。
『あれぇ、どうしたのぉ?・・さっきまでの威勢が無くなっちゃったねぇ・・・もしかして万策尽きたのかなぁ?』
もはや勝利を確信しているのか、岸辺はつまらなそうに首を傾げると再び上半身を揺らし始める。
『くっ!』(正面からか?、横から来るか?・・)
そしてまた岸辺の姿が消え、今度は真下から奴の逆袈裟が飛んで来た。
『むうぅぅ!』
奴のナイフが俺を捉える寸前で、辛うじて下からの攻撃に気付いた俺はバックステップでかわすが、それでも奴のナイフは俺のアゴ先を少しばかり斬っていた。
もはや自分の勘を頼りに次の動作を読む状態となっていた俺は、ほとんど一か八かの賭けのような闘い方を余儀なくされていた・・・先程、斬られた胸の傷は深く呼吸が乱れ、突き刺された左肩のダメージで左腕にもあまり力は入らない。
(ミスったか・・・やはりこの場から逃がすのは紫陽花と時透だけにして、碧林と2人掛かりで行くべきだった・・)
この危機的な状況に活路を見出だせない俺は、自分の選択で3人を先に行かせた事を弱冠悔いていた。
このまま勘だけに頼り、回避していても奴の刃が俺を捉えるのは時間の問題・・・少しばかり悲観的になる俺だが、再び月が雲から顔を出し周囲を明るく照らし出す。
今夜は曇りのち晴れなのか・・・月が雲に隠れては顔を出すを繰り返している。
その瞬間、俺の脳内は、この月の明かりこそが勝負の決め手となると直感する。
目の前では、またしても上半身をユラユラさせ独特の予備動作を見せる岸辺。
『どうやら、君の策は尽きたようだし、もうそろそろ終わりにするかぁ・・・』
人を喰ったかのようにそう呟き、岸辺は再びのそりと上半身を前のめりに動かす。
だが俺は奴の手にしているナイフの刃だけを凝視する・・・
(見えたっ!!)
次の瞬間、再び姿を消した岸辺だが、俺の目は月明かりに照らされ反射しているナイフの光だけを追っていた・・・コンマ何秒かの速さだが、確かに奴のナイフは俺のサイドへと移動していた。
そして、その動きを見抜いた俺はその動いたナイフの方向目掛け、相棒のカランビットナイフを振り抜いた。
『ぐぅおぉぉぉ!』
俺の相棒は岸辺の鳩尾付近に深く突き刺さり、初めて奴の口から苦痛の声が上がる。
そして即座に俺はそのナイフを縦に滑らせ、奴の心臓を切り裂こうとする・・・とっさに後ろに飛び、刺さっていたナイフを強引に抜く岸辺だが、この瞬間を逃がさない俺は一気に距離を詰め、左のナイフで奴の喉元を薙いだ。
その一刀は岸辺の喉元を捉えるが、左腕にあまり力が入っていない事から斬り口は浅く、致命打とはならなかった。
『すごい、まだこんな抵抗が出来たんだねぇ・・・今夜は何年かぶりにアツい夜になりそうだぁ。』
これだけの傷を負っても尚、奴は一向に怯む気配は無い。
『ぬかせ、もうお前のホラー劇場はフィナーレなんだよ。』
『いいぞいいぞぉ・・・その闘志、その殺気、たまらないねぇ。』
まるで快楽に酔いしれてるかのように岸辺は嬉しそうに身体を震わせると、またもユラユラと上半身を揺らし始める。
一瞬、空を視認した俺はここが正念場だと自分自身を奮い立たせる。
(次に月が雲に隠れるまで恐らく4分あるか無いかか・・・この時間で倒せなければマジで次はねぇな。)
のらり・・・ゆっくりと上半身が動いた瞬間、岸辺はそこには居ない。
だが、月光に照らされ反射するナイフの光を俺の目は逃がさない、
(下だ!)
“グシャァッ!”
真下から奴のナイフが伸びるより早く、俺の膝は奴の顔面を捉え、鼻骨がひゃげる鈍い音を聞く。
そして間髪入れずに奴の首もとにナイフを突き立てて行く。
『ウィィィィン!!』
奴は悦びなのか苦痛なのか分からない謎の奇声を上げるも、それでも怯む事なく返しの横薙ぎを見舞って来る。
その斬撃を見抜いていた俺はジャンプしてそれをかわすと、そのまま飛び後ろ回し蹴りを折れた奴の鼻を目掛け放って行った。
もんどり打って吹き飛ぶも、岸辺は顔面を血に染めながらも一瞬で立ち上がる。
『俺の期待を上回る抵抗だねぇ・・・お前の散り方はさぞかしエロく、俺の快楽を絶頂に導いてくれるんだろうなぁ。』
まるで己の身体の痛みに悦びを感じているのか、岸辺は更に興奮した様子でそう語り、身体を震わせると再び上半身を揺すり始める。
惑わされる事なく、俺は冷静に月光に反射するナイフの光だけを追う・・・
(今度は正面からか!)
俺は一直線上にナイフを突き出すも、それと同時に空気を切り裂く嫌な音も僅かにキャッチする。
『おっとぉ!』
とっさに頭をサイドに振った瞬間、俺の頭部の横を2本の苦無が飛んで行く。
そして、俺の突き出したナイフは岸辺の胸を抉るが、即座に奴の返しの袈裟斬りもまた落ちて来る。
奴に刺さったナイフを抜いて回避する時間が無い事を覚った俺は、握っていたナイフから手を放しバックステップでかわす。
『そろそろ終わりが近付いて来たかなぁ?・・・俺はもう少しでイキそうだぁ。』
真性のマゾなのか・・・鼻血混じりにヨダレを垂らしながら奴は刺さっていたナイフを抜くと地面に投げ捨て、呟く。
俺も今まで色んな奴と闘って来たけど、こんなキモい奴は見た事ねぇし、マジで付き合ってらんねぇ。
(ナイフは1本失った・・・残るは左手のナイフだけだが、左肩に力が入らない状態で、この化物相手にどう凌ぐか!?)
ゆらりと上半身が動き、再び正面から瞬時に突っ込んで来る岸辺・・・ナイフの光を見ていた俺はそれに反応し左手のナイフを振り抜き奴の腹を抉るも、やはり思うように力が入らず奴の勢いを止めるには至らず、返しの斬撃が飛んで来る。
俺は尚もバックステップでかわすが、その直後、岸辺の左手は俺の右腕を掴んでいた。
『ダァメ、もう逃がさなぁい♪』
(やべぇ、かわせねぇ!)
完全に動きを封じられた俺は、岸辺の次の攻撃をかわせない事を悟る・・・しかしその刹那、俺は翠蘭道場での稽古を思い出す。
翠蘭『麻生君、君の回避能力は目を見張るものがある・・・しかし、強いて言うならば君はバックステップを多用する癖があるね。
確かに相手の全体を見れるよう大きく距離を取り、かわす事は悪く無い戦術だけど、レベルが高い人間ほどその動作に慣れると君を捕らえて動きを封じに来るでしょう。
身体の一部が制圧されては、次の攻撃を回避する事は至難の技・・・ですが、孫子の兵法にはこんな言葉もあります、“攻撃は最大の防御”だと。
動きを封じられ、間合いを密着された時、その距離からでも相手に致命的な一撃を浴びせる事は可能です・・・それが今から伝授するワンインチパンチです。』
岸辺の追撃が迫る中、まるで走馬灯のように翠蘭の言葉が脳内を駆け巡り、俺は思い出したかのように左手の人差し指を奴の鳩尾に突き立てた。
『!?』
一瞬、岸辺の目元がピクリと動き、奴の視線が下に下がる・・・その瞬間、爆風のような衝撃と共に奴の身体が後方へと弾け飛ぶ。
『おお・・ぉぉぉ・・・』
内臓が破裂したのか、ゴボゴボと口から血の泡を吐き出すも、それでも奴は倒れる事なく体勢を立て直すと、再び突っ込み刺突を繰り出して来る。
だが、もはや完全に見切っていた俺はそれを左手で払い、半歩踏み込むと奴の腹を目掛け崩拳を繰り出して行った。
これもまたあの日、翠蘭から教えて貰った技である。
確かな手応えと共に再び後方へ吹き飛んだ岸辺は、ガードレールの切れ目から、そのまま下の沼へと転落する。
やはり底無し沼なのか、奴が落ちた場所からはブクブクと泡が沸くも岸辺が浮上して来る気配は無い。
(終わった・・か・・・)
しばし、その光景を眺めていた俺だが1分ほど経っても奴が浮上して来ない事から決着を迎えたと思い、その場を後にしようとした。
その時!!
突如として勢いよく沼から這い出て来た奴は、俺の足首を掴み道連れにするべく、引き摺り込もうとした。
『ヒヒヒ・・・お前1人だけ帰さないよぉ。』
尚も薄ら笑いを浮かべる奴に憎悪の感情すら沸き立つも、這い上がって来た奴の下半身を見て俺は硬直した。
何十という無数の怨霊のような塊が奴の腰から下にまとわり付くかのようにしがみ付き、奴を地獄へと引き摺り込もうとしている・・・恐らくはこれまで奴に無惨に殺されて行った者達の怨念なのだろう。
何とか踏ん張ろうとするも、その凄まじい力に成す術無く俺の身体もまた引っ張られて行く。
『うわあぁぁぁ、落ちたくねぇ!!』
俺は何とかガードレールにしがみ付くも、その抵抗も虚しくあと一歩で沼に落ちるという所まで引き込まれて行った。
『離れろ、この外道がぁ!!』
諦めかけていた俺の耳に飛び込んだのは、そう叫ぶ男の声であり、次の刹那、男は俺の足首を掴んでいる岸辺の手を踏み付けると、半身を乗り出していた奴の顔面を蹴り上げた。
弧を描きながら宙を舞った奴の身体は、激しい水しぶきを上げながら更に道路から数メートル離れた所へと落ちた。
『ぐぅおおぉぉぉ!!』
尚も水面から顔を出し、こちらへと泳ごうとする岸辺だが、更に数十体の怨念が岸辺の周りを取り囲み、一気に沼の底へと引き摺り込んで行く。
断末魔のような雄叫びを上げながら、尚も抵抗しようとする岸辺だが、その叫び声が消えて行くと同時に二度と奴が沼から浮上して来る事は無かった。
『ハァ・・・ハァ・・ハァ・・・』
激しい緊張から一気に解放された俺は、力なくその場に尻餅をつき、隣を見上げた。
先程、岸辺を蹴り落としたのは碧林であった・・・
『何というグッドなタイミングで来てくれたんだ・・・マジで助かったぜ、碧林。』
『あんたが、あんまりにも遅いから心配しちまったじゃねぇか・・紫陽花と時透なら大丈夫だ、今さっき設楽が駆け付けてくれて無事に2人を保護したよ。』
そう言って碧林は俺に手を差し伸べ、その手を掴んだ俺はようやく立ち上がる事が出来た。
碧林と歩きながら、俺はTonightの闘いを振り返っていた。
それまでの俺は、やはり何処か自分の才能や能力を過信し慢心していた所があった・・・今回は翠蘭から技をレクチャーして貰ったおかげで勝つ事が出来たがもし、清吉の助言を無視し翠蘭と会う事なく今夜を迎えていたら、果たして俺は勝てただろうか?
岸辺克治、奴は正に怪物であった・・・だが、奴は芯の部分まで悪魔に魅入られ、取り憑かれていた。
地上ではあの有名な拷問ソムリエに屠られ、悲惨な最期を迎えたようだが、あまりに人の心を失い、悪魔に蝕まれた結果、こちらの世界に来ても尚、奴は最後の最後まで改心する事が無かった。
きっと奴は地上で拷問ソムリエに葬られた時のメモリーさえ、覚えてはいないのだろう。
あの沼は恐らく地獄へと続くゲートでもあるのかもしれない・・・そして、そこから先へ落ちた者はもう二度と這い上がって来る事は出来ない。
これから先、岸辺を待ち受けるのは地獄での厳しい裁きであり、もはや地上はおろか、この世界にすらも戻れる事は無いだろう。
人は大なり小なり間違いを犯し続けるし、時には道を踏み外す事もある。
エイジ・清吉・小湊圭一・・・この世界には地上では外道と呼ぶに相応しい生き方をした人間も多くいるが、それでもギリギリの所で人の心を取り戻し、今は真っ当に生きている。
だが、最後まで人の心を取り戻す事なく無法の限りを尽くした奴は、この世界にもいずれ居場所は無くなる。
その時、待っているのは徹底的な破滅なのだろう。
気が付けば月は、どっぷりと雲に隠れている。
これまで外道として生きて来た時透もまた、俺に敗れ紫陽花と再会した事で、否応なしに自分の生き方を見つめ直す事になるだろう。
メインストリートに出るまでの道すがら、俺はこの世界で何を成すべきかを考えていた。
こうして、俺の長い夜は終わって行った。
明日からは少しの間、平穏の日々が続くだろうが、この街には未だ大きな闇が蠢いているのは確かだろう。
再び始まる闘いを予感しながら、俺は家路に着いた。
━続く━