代車時代 第三回 「深夜の決断」
私「あのー、ひとつ思ったんですけど」
警察官「はい」
私「これって、整備工場に責任がありますよね。本当は整備工場と対応を協議して、どうするか決めることができればと思うんですが、時間が遅くて相手が電話に出ません。それと、近くのパーキングにレッカー移動するにしても、私がその後、終電が終わってて家に帰ることができません」
警察官「なるほど」
私「なので今晩はここに留まって、明日の朝、工場が開いたら電話していろいろ決めようと思うのですが、構いませんか?」
警察官「えーっ、ちょっと確認しますね」
警察官は肩にかかっている無線機を手に取り、上司に報告を始めた。
警察官「こちら〇〇。先ほどの車検切れ車輌の件。駐車場でこのまま朝まで過ごして、工場とやりとりしたいと申し出ていますが、どうしますか?」
無線機「ーーーー」
警察官「了解です。対応します」
警察官がクルッと振り返る。
警察官「今、署と確認をしたのですが、それをするなら、土地の管理者であるコンビニエンスストアからの承認が必要だと思います」
私「そうですね。私、今から頼みに行こうと思うのですが」
警察官「でしたら、私も一緒に行きますので、話をしてみましょう」
私「はい。お願いします」
そう言って、私は少し鼻からずれ気味のマスクを整えてコンビニの入り口へと向かった。
われながらこの状況は極めて特殊だなぁと思った。なにしろ、制服の警察官と二人でコンビニに入るというのは人生でも初めての経験である。気分はまさに「コンビニエンス・オブ・ディミニッシュ」。
中に入ると、客の誰もいない店内で、陳列作業をしている店員がいる。すみませんと声をかけると、少し驚いた表情でこちらを見た。
警察官「あのー、恐れ入ります。責任者の方、おられますか?」
店員「はい、私ですが」
警察官「お取り込み中に申し訳ありません。あちらの駐車場に止まっている黒い車なんですけど、車検が切れておりまして、移動できません。こちらの方が運転手さんなんですが、差し支えなければ、明日の朝までここに留まって、レッカー移動をされたいと言っているのですが、構いませんか?」
店員「えっと、あのお車ですね?あぁ、はい、わかりました。大丈夫ですよー」
警察官「ありがとうございます」
私も横から付け加えて、
「どうもありがとうございます。私、一応、朝までおりますが、決して不審者ではありませんので、よろしくお願いします。途中で買い物もしますので」
別に言わなくてもいいことだったが、何か言葉を発したい気分だった。
ほっとした。
とりあえず、今晩の居場所を確保したし、レッカー手配のプレッシャーからも解放される。コンビニの駐車場は広くて、解放的で居心地がよいであろう。
警察官と車に戻り、私はペコリとお辞儀をしてお礼を言った。
私「本当にいろいろとお手数をおかけしました。ありがとうございました」
警察官「事故にならなくて本当によかったです。車の中、寒いと思いますけど、風邪をひかないように気をつけてください。では私はこれで失礼します」
私「ありがとうございます。そちらもどうぞお気をつけて。ありがとうございました」
そう言い残して、若い警察官は白い自転車に乗り、暗闇へと消えて行った。
白いため息をひとつついて運転席に座り込むと、なんともない、いつもの景色が広がっていた。ハンドル、メーター、コンビニの看板。店からの明かりに照らされた私の車の車内は明るく、自分の手を見ながら、あぁ私は無事にここにいるのだと思った。
鍵を回せば車は動く。酒を飲んだわけでもないので、普通に運転もできる。もちろん免許も持っている。何もかもが普通なのに、唯一違うのは車が車検切れということだけ。そのために、私はこのコンビニの敷地から出ることができないのだ。
出たらどうなるだろうか。捕まるだろうか?意外と、家まで帰れてしまうだろうか?
そんなことも考えて見たが、そんなリスクを犯してまで、この深夜に家に帰ろうとは思えない。なにしろ、家に帰ることのメリットが思いつかない。強いていうなら、シャワーを浴びて自分の布団に入って寝られることくらいだろうか。でも今晩一晩くらい、それがなくたっていい。そのために、免許を失い高い罰金を払うよりかは。
それよりも、明日の朝、どうしたらいいだろう?自動車工場に連絡するにしても、この状況をどうやって解決するのだろうか?
もちろん、レッカー車を手配して、こちらに派遣してくれるとは思うが、それが工場のある地元からここまで50キロ近くを走ってくると時間がかかるだろう。あるいは、こちらの地域の業者から派遣されるということがあるだろうか?いずれにしても、朝からスタートしても時間的には結構かかりそうだなぁと思った。
と、その時、ふと思ったことがあった。
「あれ、そういえば、あの手もあったなぁ」
スマホでGoogle Mapを開き、今いるコンビニ周辺の地図を眺めてみる。それを見ながら、私はもう一つの方法があることに気がついたのだった。果たして、工場はそのアイディアを取るだろうか?あるいは、レッカーにするだろうか?
気になるところだが、まぁ、とりあえずは少し車内でゆっくりしよう。
井上陽水の「帰れないふたり」ならぬ「帰れないひとり」。思わぬ形で、朝までの長い時間をひっそりと過ごすことになったのである。
(続く)