生と死の境
身内が亡くなった。
でも、幼い頃から知っていた人ではない。
しばらく入院生活が続いて、痩せ細ってしまった顔は、まるで人ではないようである。
子どもがひどく怖がってしまったので、その人の体の傍にまったく居られず、結局、親類の家に泊めてもらい、布団に入っている。
子どもにとって祖父についての最後の記憶が、とても恐ろしいものになってしまったのではないか、と思う。
近くに住んでいなかったので、尚更だろう。
そういう記憶が残るのはかわいそうだな、とも思うし、大人になってから、あの時どう思った?と聞いてみたい気もする。
自分の祖父の時のことを思い出したりして、眠れない。
今まで生きていたのに、と生物学的な観点での判断に人は絶望する。
魂はきっと、まだ近くにいるだろうと思うのだけど。
呼吸や心拍が感じられなくなったら終わりなのか、魂などが見えればいいのにと思うこともあるが、見えないことで、ある意味で区切りをつけることができるのか…
冷たいようだが様々な事情があり、時系列を追って亡くなった人の姿を見てきたわけではないので、遺体との対面は、明らかにこれまでとの断絶になってしまったのだろう。
どちらもつらいね。
子どもには、まだ全然受け入れられないようなので、様子を見ながら、ゆっくり時間をかけて語りかけようと思う。
こちらから話題を振らない、という選択も含めて。
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