レールの上を走り続けた僕が、ライフキャリアコーチになるまで。#1
こんにちは!かいです。
気を取り直して、
僕がコーチになるまでの人生を少しずつお話ししていければと思います。
まずは生まれてから、小学生くらいまで。
幼少期の実体験や記憶、感情は人格形成に凄く大事とよく言いますよね。
僕もこの幼少期は今の自分の生き方や人生観に沢山影響しているので、
しっかり振り返っていきたいと思います!
96年、生まれ落ちる
僕は96年、東京で生まれ落ちました。母曰く、へその緒も絡むことなく、
驚くほどすんなり出てきた子供だったそうです。
当時の話を祖父に聞いてみると、
僕は赤毛の天然パーマで生まれてきたとの事でして(笑)、
今でも祖父の意見と当事者の母は意見が対立。
赤毛だった!真っ黒だった!と、
祖父と母生まれた時の話になる度に小競り合いをしてました。
(母曰く)夜は一瞬で寝て、夜泣きもせず、
育てやすくて変な赤ちゃんだったそうです。
もちろん当時の僕は気を遣う事など考えているはずもないのですが(笑)、
もしかすると後々の自分の性格にも影響があることだったのかもしれませんね~。
0-6歳!ひたすら動き回るベイビー👶
小さな頃からおてんばでどこまででも歩き回る。
その度に体をぶつけてアザを作ったり、
時にはおでこを針で縫う重症になったこともあったみたい。
今でもその傷はおでこに残っています🌊
そのまま3歳4歳と、順調に成長。
当時の朧げな記憶はぜーーーんぶ、公園かプールの記憶ですね。今思い返すと、よく付き合ってたな親も…と思うレベル。めっちゃはしゃいで、一瞬で眠る健康児だったと思います。笑
友達づきあいは多く、幼稚園のクラスメートはみんな友達!
くらいの勢いで色んな子と仲良くなり、沢山遊んでいました。
6-10歳くらい
小学校の頃の話なんてあっという間に思い出せるかと思いきや
意外と「あれ?あのときってどんな感じだったっけ…?」とが連発。
よく考えれば、小学校入学したのがもう21年前だですもんね。
いや、21年前ってやばいな…………なんかつらくなってきた……頑張って記憶を掘り返しながら書いていきたいと思います(笑)
プールに通い詰めた父との記憶
プールと書いて思い出しましたが、
僕の父はスイミングのインストラクター。
親子で本当によくプールに行っていました。最初は水遊びくらいだったのが、だんだん本格的になり、小学生に上がったころには夏休みになると毎日のようにプールで1000m近く泳がされるという…今思えばとんでもない体力だなと。(笑)
プール場で他の誰よりも速くクロールやバタフライで泳ぎぬいていく父の後ろ姿は、今でもありありと目に浮かびます。
速くて、あっという間に向こう側にたどり着いて、そしてあっという間に帰ってくる。その間に2-3人追い抜いて。
父には伝えてませんが、あれはかっこよかったなと、今でも思います。
そしてそんな父のように泳げるようになりたい、と思って、ひたすら泳ぎまくっていました。いつしか目標がスイミングスクール通っている奴より速く泳ぐ!!でしたね。夏休みのあの時はとってもいい思い出です。
学校生活と僕の兄
学校生活は、一言でいうとすごーーく充実してましたね!
幼稚園時代から友達はとっても多い方だったので、
その延長線上ですぐに友達ができました。幸い家から近くに住んでいる子も多かったので、毎日放課後には外で遊んだり人の家に遊びに行ったり。
たまにうちに来ることもあって、遊ぶには事欠かない環境でした。
こんな感じて、とにかく外に出まくって沢山遊びまくる生活でした。
友人にも恵まれ、幸い沢山遊ぶ環境もあり、
いたって順調の順風満帆ライフかと思いますよね?
それでも、当時の僕にはかなり深刻な悩みがあったのです。
それは、【兄が怖い】ということ。
6歳年の離れた兄は、僕が小学校に上がる頃には中学1年生。無事に壮大な反抗期に突入した兄と僕との関係性で、僕は6歳から14歳くらいまで、ずっとずっと、悩むことになります。
この兄との生活、関わり方がきっかけで、僕の人生はとてつもなく大きな変化を迎える事になります。
そしてこの変化を描き始めると、#1とは思えない超大作になってしまいます。笑
ここからは次回!
兄の反抗期、親、学校、親と、色々な方を巻き込んでいくことになりますよ〜!😂
次回もお楽しみにお待ち下さい!
かい
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