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ぼくの「しんこきゅう展 in la galerie」 2


ぼくの父も氣性が荒いところがあった。

物心ついた頃から父が亡くなるまで、父にはいい印象を抱いたことがない。

ぼくが8歳のころ、病院のベッドで息絶える父を見て、微塵の悲しさも感じなかった程度には、ぼくは父のことが好きだった。

決して悪いような人ではなかったと思う。父親らしいことをしてもらった記憶は確かにある。

けれど、印象が転じなかったのは、ぼくにとって、父の存在がそれだけ負担になっていたからだろう。



父にはよく拳骨をされた。

物心ついたときから、何かにつけてよく。

まぁ、原因のほとんどはぼくにあると思うのだが。

例えば、鏡を割ってしまったとき、薪ストーブに触って火傷をしたとき、水道の蛇口が取れてしまったとき、

父はものすごい形相で、中指が突き出た拳をぼくの頭に振り落とす。

痛い。

齢4〜7のぼくにとっては耐え難い痛さだった。

涙など堪えられるはずもない。

父は加減を知らない人だった。


ほんの些細な失態で何度も痛い思いをした。

事実確認をされずに拳骨をされたことも何度もある。

父の拳骨はいつも、ぼくの話を聴いてくれない。

次第にぼくは、何をするのも怖くなっていった。


今でもぼくは、目の前の人が手を上に振りかざすと、肩を窄めて目を閉じる。


真っ暗な蔵に閉じ込められたことも何度かある。

父は泣きじゃくるぼくを抱き抱え、家の裏にある蔵へ。


微かな光も入らない、土ぼこりと蜘蛛の巣に塗れた木造の蔵。

扉は重く、鍵をかけずとも、幼な子の力ではビクともしない。

父はぼくをその蔵に閉じ込めると、2時間は開けてくれなかった。

蔵の重たい扉の前で、泣き叫びながら助けをこう記憶が残っている。


蔵に保存されていた梅漬けの瓶とはずいぶん仲良くなった。

とても冷たい、陶器の瓶。

梅の香りは、今もぼくに暗闇を連想させる。


しつけと言えばしつけだが、ちょっと度がすぎていたようにも思う。

他の家庭の父親を知らないから、なんとも言えないのだが。



父はよく怒鳴った。

ぼくにじゃなく、家族に。

夜の茶の間にはよく、父の怒鳴り声が響いていた。


ぼくの幼少期は、父、母、祖父、祖母との5人暮らし。

夜ご飯を食べたあとの団欒、家族同士のちょっとした言い合いが、氣がつけば大喧嘩。そんな光景を何度目の当たりにしただろうか。

喧嘩の原因は、幼いぼくにはわからなかったが、とにかくうるさかったことだけは覚えている。

立ったまま、他の家族を怒鳴り散らす父と、

泣きながら座り込む母、

泣きながら父を説得する祖母に、

父にムキになって怒鳴る祖父。

そんな光景が、ぼくの記憶には眠っている。


父の怒鳴り声と、母の泣き声、

祖母の叫び声と、祖父の怒り声、

父が歩くときの地鳴りの音、

引き戸のガラスが揺れる音、

台所の皿が割れる音、

引き戸のガラスが割れる音、

扉が激しく閉まる音、


自分の部屋がなかったぼくは、他に行き場もなく、居間の隅でその様子をじっと見ていた。


「またはじまった」

「いつおわる?」

「うるさい」

「うるさい…」


母、祖父、祖母がどんな様子だろうと、家がどんな状態だろうと、父は自分の氣がおさまるまでは、決して怒鳴ることをやめなかった。



喧嘩の原因はなんだったのか、家族の会話の内容は覚えていない。

ただ、騒がしい日常が、ぼくの記憶には残っている。


父は、ぼくが8歳の頃に病気で死んだ。

授業中、父が危篤との連絡を受け、親戚の車で病院へ向かった。

ベッドの上の父の、弱々しい手を握ったのを覚えている。

少しの悲しさも感じなかったのを覚えている。

最期を見取ったとき、安堵の氣持ちが込み上げてきたのを、はっきりと覚えている。


父が嫌いだったわけじゃない。

父はぼくに愛を注いでくれなかったわけじゃなかった。

男二人で出かけたことも何度かある。

ぼくを楽しませようとしてくれた父の姿も、記憶に残っている。


ただ、ぼくは父のことを微塵も好きではなかった。

それほど、父に苦痛を感じていたのだろう。


母も祖母も祖父も大好きだった。

でも、父だけは、どうしても好きになれなかった。


大人になってから氣づいたのだが、ぼくはゲームセンターが大嫌いで、本屋と図書館が大好きだ。




大阪個展のクラウドファンディングページの編集は、ぼくにとっても地獄だった。

点描画家hiromiの過去は、ぼくの記憶を容赦なく掘り返してきた。


彼女の壮絶な過去の話を、受け止め、噛み砕き、伝わりやすいよう記事にまとめる。

聴くだけでも心が軋むほど苦しいのに、加えて、幼少期のぼくの記憶も反応してしまう。


彼女の話に、ぼくの過去がリンクする。

怒鳴る父、母の泣き顔、皿やガラスが割れる音。

吐き出す彼女がいちばん辛いのは重々承知。

だが、聴く方も大概だ。

彼女の苦痛に比べたら、ぼくが味わった苦痛なんてちっぽけなものだろう。

それでも、同じ人間。

ChatGPTのような文章生成AIではない。

話を聴くたび、文字に起こすたび、どうしても心がざわつく。


苦しかった。

とても苦しかった。


早く終えてしまいたかったが、本文の編集は1日では終わらない。


彼女の話を文におこし、齟齬がないか確認する。

話を深ぼった方がいい箇所、情報が不足に感じる箇所があれば、また追加で細かい話を聴く。

彼女が編集した文を、ぼくがまた編集する。

そんなやりとりが2ヶ月も続いた。

話を聴くたび、文字にするたび、やりとりを交わすたび、ぼくの心は疲弊していった。


氣がつけば、毎週の打ち合わせがすっかり億劫になっていた。





できることなら手を離したい。

点描画家hiromiのサポートから身を引きたい。

そう思っていた。

それほどまでに、彼女の過去はぼくを追い詰めていた。


彼女はぼくと似ているところが多い。

彼女が感じること、思うこと、苦しみ、痛み、

話を聴くたびに、他の人よりも強く共感できる。


だからぼくも、彼女の前ではつい口を開いてしまう。

感じたこと、思ったこと、苦しかったこと、痛かったこと、

父のことも、誰かに話したのは彼女が初めてだった。


ぼくは彼女に近づきすぎたのかもしれない。

近すぎるから、彼女の苦しみも、人一倍強く感じてしまう。

彼女に関わらなければ、耳を傾けなれば、歩み寄らなければ、こんなにも苦しむことはなかった。

彼女と出逢わなければ、こんなにも感情を揺さぶられることはなく、ぼくは今頃、自分の作品づくりに集中していた。


そんなことを考えながら、クラウドファンディングの本文が完成する頃には、

ぼくは、もう点描画家hiromiには関わりたくないと思っていた。








(続きはこちらです▼)




読んでくださってありがとうございます。

当記事は、ぼくが兼ねてより活動をサポートさせていただいている点描画家hiromiの、個展の感想記事の第二部になります。

一部はこちら。


父のことを公にするのは初めてです。

本当は、父を初めて語る場はぼくの作品の中にしたかったのですが(笑)、

ここを語らずして、ぼくの「しんこきゅう展 in la galerie」は語れないので、致し方ありません。

幼少期に父へ感じていたこと、このときのひろみさんへ感じていたこと、

本記事で綴った心情が、「しんこきゅう展 in la galerie」で味わった感情に大きく影響しました。


続きはまた来週。

楽しみにしていただけたら幸いです。



点描画家hiromi

0.3ミリのハイテックのペンで、そのときの感情をイメージした点描画を制作。幼い頃から、感情をイメージして絵を描いてきた。複雑な家庭環境の元で育ち、幾多の苦しみを経験。絵を描くことで苦しみから逃れたり、時には癒されたりもしてきた。

2021年に、自身初となる個展「しんこきゅう展 in zakura」を渋谷で開催。

2022年には大阪で、二度目の個展「しんこきゅう展 in la galerie」を開催。過去を曝け出した内容のクラウドファンディングが話題となり、朝日新聞に記事が掲載。個展では200人以上の方が来場し、大盛況に終わる。

「しんこきゅう展」に来てくださった方が笑顔になってくれたらという想いで、点描画家として活動中。

4/28〜4/30に静岡個展「しんこきゅう展 in Wazo」の開催が決定。現在、静岡個展の開催費用を募集中(3/31まで)。


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