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年賀状を送る意味

送るのが楽になっても年賀の挨拶は減る一方である。


20年も前は何十通と年賀状が届いていたものだが、

今では届いても二〜三枚で、そのうちの一枚はどこかの企業からだったりする。

スマホを持ってからはLINEでいただくようにもなったが、

「あけおめ」「ことよろ」といった簡略化された挨拶がほとんどだし、これもまた、届くこと自体随分と減った。

改めて、ご挨拶することの意味を考えてしまう。



昨年末、スマホからではあるが、年の瀬のご挨拶を182名の方に送った。

昨年、漫画家として初の書籍を出版したのだが、その書籍の制作を応援してくださった方へ改めてご挨拶。

文章の7割はお礼文等のコピペだったのだが、3割はお一人お一人文言を変えて送らせてもらった。

相手を思い浮かべながら言葉を選んだので、かかった期間は1週間ほど。

ご挨拶は大変だなと思いつつ、でもお世話になったのだからとも思いつつ、

書きながら浮かんだのは実家での年末年始。

年賀状が大量に届いていたあの頃である。



当時は年賀状を送り合う文化が楽しかったものである。

ウチにはプリンターなんて贅沢品はなかったので、平成も中頃であったというのに全て手書きで送っていた。

中学一年生の頃は好奇心が暴走し、一人一人にそこそこのクオリティの絵を書いて送っていたからまぁ骨が折れた。

年賀状を送った相手のほとんどには、別に学校に行けば会えたのだが、それでも何か、楽しかったことは覚えている。

祖父や祖母宛には、ぼくよりも圧倒的に多い枚数の年賀状が届いていたから、送るのはさぞ大変だったことだろう。



年賀状の送り合いが極端に減ったのは、メールを覚えてから。

中学を卒業する少し手前、携帯電話を持つことを許された。

友達と四六時中繋がれるようになってから、アナログでのご挨拶が面倒になったのだ。

以降、年末年始のコミュニケーションといえば、簡略化された挨拶の送り合い。

「あけおめ」や「ことよろ」など、

手書きの年賀状に比べたら圧倒的に手間がかからない、非常に楽な挨拶の仕方であった。

けれど、あの頃の挨拶に一体どれほどの意味があったのだろうか。



今回ぼくがお一人ずつ送ったご挨拶はそこそこの文字数である。

7割のコピペ文を含めたら結構な長文になってしまったので、面倒に感じる方もいるだろうとは思ったが、

嬉しかったのは、

思いの外、喜んでくださった方が多かったことである。

ぼくの文量に応えてくださったのだろう。

ご丁寧に近況を伝えてくださる方も多かった。

ぼくが送ったのは前途した通りコピペ文が7割なので、丁寧かと言われたら全然そうでもないのだが、

ぼくの方も、普段なかなか連絡を取らない応援者さんの近況を聴けて、大変に嬉しかった。

とてもとても嬉しかった。


これがご挨拶かと、この年末年始にしみじみ感じていたのである。



こんな機会でもなければ連絡を取らない方がほとんどであった。

祖父や祖母が行っていた年賀状のやり取りはきっとこれなのである。

毎年届く年賀状の量を見て、よくやっているなと思ってはいたが、

きっと、祖父や祖母がやりとりしていた人たちは、

これまでの人生で出逢ってきた、けど、もう何年も会っていない、

そんなお相手と近況のご報告を、年一回の貴重な機会にやっていたのだろう。

決して、「あけおめことよろ」だけで終わるような、タスク消化じみたやり取りでなく、

お相手を想った、氣持ちのやり取りだったのだろう。


年の瀬や年賀のご挨拶とは単なる言い訳で、

人との繋がりを改めて感じることのできる、貴重な機会だったのである。


今回、ほとんど義務感のように応援者さん全員にご挨拶を送ったが、

今年末はもっとフランクにご挨拶して回ろうと思う。

繋がりが希薄になりつつある現代だが、時代に流されずどこまでも、人とのご縁を大切にしていこうと思う。








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