自分の表現はたくさんのやりたくないの先に
絵を描くのが面倒な時期があった。
なんなら、他の誰かに描いてもらいたい。
そう思っていた時期があった。
全てに自分の手をかけたい今となっては信じられないが、そういう時期もあったのである。
今からもう4年も前になるか。
ラフな絵で遮二無二短編漫画を描いていた。
全部で14本。
当時は今ほど画力に自信もなかったし、作画に時間をかけたくなかった。
兎に角、頭の中の物語をサッサと出してしまいたかったのである。
4年前は、SNSのフォロワーを増やすことに躍起になっていた。
兎に角何かしらの投稿をして、いいねをいただこうとか、リツイートをいただこうとか、そんなことばかり考えていた時期である。
そんな頭であったから、SNS特有の〝刺激〟に慣れていたのだろう。
スクロールをすれば誰かが面白いコンテンツを投稿しているものだから、自分も早く早くコンテンツを出さねばと思っていた。
しかし、通常、漫画を描くという作業には多分な時間がかかるものである。
1コンテンツは1コンテンツ。
絵が綺麗であろうとなかろうと、SNS上に流してしまえば1コンテンツ。
同じ1コンテンツになるのであれば、このコンテンツイズキングの時代は数が多い方が有利。
そう考えていた。
タイムラインを眺めていると、絵の丁寧でない漫画がよくよく流れてきたものだった。
しかも、数字もしっかりそれなりについていたものだから、「これは世間的にアリなのか」と、許しを得たような氣がしていたのだ。
そうして描いた漫画が14本。
昔に描いた漫画はほとんど非公開にしてしまったが、それらの短編漫画は一部を除いて今も公開している。
絵はだいぶ雑だが、物語の筋としては、今描いている作品の原石というか、元素のようなものだと感じているためだ。
16ページから、長いものは64ページほどだったか。
最近は、そいつらをしっかりした絵で描き直して世に出したいと思うようになってきた。
せっかく生んだのだから、きちんとして届けたくなったのである。
今は描くことが楽しい。
サッと描いて公開してしまいたいなんて思っていない。
丁寧に線を重ねて描いている。
今描いているのは、いいねやリツイートのための漫画ではなく、自分を表現するための漫画である。
時間をかけてでも、自分の表現を届けたいと思っているのだ。
人間、変わるものである。
当時は当時で、必要な時間だったのだと思う。
一種の社会勉強といったところであろう。
あのSNSに躍起になっていた期間で私は、
SNSでバズれば、有名にさえなれれば、何をやってもいいわけでないことを学んだのだ。
私は愚かな人間であるから、自分の経験からしか学べないのである。
とりわけ、描くことだけは辞めていないのが、今となっての自慢である。
決して上手い方ではないし、容量もいい方ではないので、成長速度は遅いのだし、
立ちはだかる壁には時折負けてきたものだが、
どんな状況になっても、描くことだけは続けてきた。
描くことで自分を知ってきた。
描けば描くほど、〝自分〟を感じてきた。
自分の描きたいもの、表現したいものが、少しずつ。
消去法ではあったけど、たくさんのやりたくないの先に今の表現を見つけたのである。
自己対話という意味では、私にとっては漫画制作がいちばん身近な友なのかもしれない。
もっと自分を知りたい。
そして味わってきた感情を分かち合いたい。
心でつながる友を増やしたい。
これからも遮二無二描いていく。
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『いいねなんかがあるせいで、』
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