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ふとした笑顔に救われる。
イベントの撮影現場でコミュニケーションにつまづいた。
都内の或るテナントで開催されるイベントを撮影する仕事だった。
朝、テナントにお邪魔するなりオーナーさんがお見えになったので、こちらからご挨拶。
しかし、オーナーさんは私と目を合わせてくれず、私の挨拶をそっちのけて、なぜか他の方と会話をする。
先ず違和感。
続いてのことが衝撃だった。
イベントを開始するためにテナント内のものを動かす必要があり、オーナーさんへ勝手を伺った。
その返答はなぜか私ではなく、他にいらしたもう一人の方に向けられた。
テナント内にはもう一人、関係者の女性がお見えになっていて、横に並ぶ私とオーナーさんの、後ろ側の少し奥にいらしており、私が横に向けたお伺いの返答が、なぜか後ろの方に向けられたのである。
文言は確かに私への返答とわかるのに、顔の向きも声のボリュームも、完全にそっちに向いていた。
私には何が何だかわからなかった。
軽いパニックである。
私はオーナーさんへ、初対面できちっと面と向かってご挨拶したし、何か不手際があったとは思えなかった。
それなのにこの扱いはいったいどういうことなのだろう。と、
とりあえず目の前の撮影準備を片付けながら精一杯考えていた。
撮影は夜まで一日中続く。
この状態でやっていけるものなのか。
私は不安も不安で、どうしていいか全くわからず、
私はその、少し奥の彼女の方に顔を向けると、
ふとした笑顔が返ってきた。
決して、満面の〜とか、大袈裟なスマイルではなく、向こうも愛想笑い程度だったとは思うのだが、
彼女の一瞬のにこやかな表情に、私の心は随分と救われた。
結局、オーナーさんとは1日をかけてゆっくり打ち解け、夜には長い立ち話ができる関係になっていた。
おそらく、コミュニケーションがすこぶる苦手な方なのだろうと思う。初対面の人への接し方に戸惑う氣持ちはわからなくもない。
あれからしばらくしても、
あの笑顔の力が忘れられない。
時折、あの女性の笑顔を思い返しては、心に波紋の広がりを感じている。
笑顔の力は絶大である。
ふとした笑顔で救われる人がいるのなら、私も意識してみようと、
少し前から、毎朝鏡の前で〝口角を上げる〟ことを意識してみている。
先日、漫画の打ち合わせで武蔵引田というところまでやってきた。
田畑が広がり、住宅も多い、素敵な町であった。
目的地に向かう途中、幼稚園の前を通る。
園舎の中から外の敷地内へ、保育士さんが出てくる。それに続き園児たちがわーーーっと出てくる。
私は微笑ましい光景に思わず心がほっこり。
だがここで、自分の表情がムスッとしていることにも氣づく。
一人でいるときはだいたいそんなものである。
誰に会うとも思っていないので、表情は完全に垂れ下がっている。
けれどこれでは、瞬時にいい笑顔は作れない。
いつどこで誰が、心を病んで私を見つめるかわからない。
私は、これではいかんと、口角を少し上げ、ほっこりした氣持ちを維持しながら前を歩く。
すると前から、6名の列がこちらに向かって歩いてくる。
さほど近づかなくても、その人たちの様子がどこか違うことはわかった。
発言や所作から、精神障害をお持ちのような方が4人とわかる。
残りの2人は引率で、どこかの施設のカリキュラムか何かで外に出ているのだろうかと推測しながながら、
私はその列の横をすれ違う。
「こんにちは!」
突然、前から4人目の障害持ちらしき方から、元氣のいいご挨拶をいただいた。
私は、先ほどの保育士さんと園児たちに感謝しながら、
「こんちには。」
と、笑顔で返した。