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【読書感想文】『料理と利他』の実践を目指して

先日、料理研究家の土井善晴さんと政治学者の中島岳志さんの共著『料理と利他』を読みました。

この本はお二人のオンラインイベントを基に書かれた1冊です。
コロナ禍における料理をベースに、ときには実際に料理を作りながら、参加者の質疑応答を交えながら、様々なやり取りが書かれていました。

2020年以降、コロナ禍でステイホームを推奨され、外食に行かずに自宅で料理を作って家族で食べることが増えました。

そうしていく中で、料理に対する向き合い方や考え方が多かれ少なかれ変わった人もいたでしょう。

自分もそんな一人です。

「ゆっくり」もええもの

本書の中で土井さんも話していましたが、料理人は「ゆっくり」とは無縁の人種です。

調理は時間に間に合わなあかんから、気ぃの長い料理人いうのはないんです。料理をするとき、いつも時計を意識して仕事しますから。ゆっくりという価値観はありません。ゆっくりを、悪いことと考えてきました。

『料理と利他』より

料理を「じっくり」作ることはあっても、「ゆっくり」作ることはありません。そんなことをしたら、先輩の料理人に叱られます。

自分も仕事中の作業や、まかないを作るときは速く、効率的に動くことを意識していました。

でもたくさん時間があると、ゆっくり歩くこと、ゆっくり食べること、ゆっくり書くこと、「ゆっくり」という時間に非常に豊かなものがあるということに改めて気づきました。そんなん初めてかも知れない。

『料理と利他』より

ですが、いざ実際に「ゆっくり」とした時間の使い方をすることで、豊かさに触れることもできました。

自分の場合も仕事が休みになることが増えて、幸か不幸か朝ごはんや昼ごはんのときに家族で揃って食卓を囲むことが増えました。おかげで家庭内のコミュニケーションの量も増えて、今までよりも家族の関係が良くなりました。

また、暇な時間に散歩してみると、季節の花や木々の変化を実感することができました。

緊急事態宣言やステイホームには、こうした身の回りの幸せに気づく余裕を与えてくれた側面もありました。


料理と利他

土井さんは料理の利他のことを次のように語っています。

私の考える料理の利他は、つくる人と食べる人のあいだに生まれるものと思います。たとえば、料理する人が食べる人の健康を思って料理する。対して、食べる人の姿を見て、料理する人は食べる人から戻される利他を受け取る。その日によって、料理する人と食べる人の利他のバランスは変わります。

『料理と利他』より

個人的に、「日によって料理する人と食べる人の利他のバランスが変わる」というのが面白かったです。

確かに、料理する人がチャッチャと料理を作る日もあれば、腕によりを掛けた料理を作る日もあります。
食べる人も、美味しそうに食べて笑顔で「美味しかった、ごちそうさま!」と感謝を伝える日もあれば、何も言わずに食べ終わった食器を片付けて部屋に戻る日もあるでしょう。

料理の良し悪しや好き嫌い、その日の機嫌など色んな変数が関わってくると思います。

だからこそ、相手をコントロールしようとせずに、そのときの自分に出来ることに淡々と取り組むことが重要なのだと感じました。


作為や自我を残さない

また、土井さんは家庭料理はつくり手の作為や自我を残さないことが重要だと語っています。

西洋料理的な、「この皿を見たら誰の料理かわかる」といったプロのオリジナリティーは家庭料理には必要とされていないそうです。

確かに、家で食べる肉じゃがやお味噌汁にそこまでプロフェッショナルは必要とされていません。

家庭料理なのに頑張りすぎてしまうから、日本の家庭は料理に対して苦手意識やしんどさを感じてしまうし、カロリー過多などの不健康にも繋がってしまう。

これを読んでなるほどな〜と感じました。


料理と利他の実践

料理と利他、作為や自我を残さないということを自分の飲食店でやろうとしたら、

お客様に料理を作ることへ「美味しく食べてもらいたい、喜んでもらいたい」という想いは持つけれど、料理や器にその想いや作為、自我は残さない

難しそうで難しそうです(笑)

確かに、シェフ自らお客様のテーブルに向かって、「今日のメインディッシュのステーキは素材は◯◯で、仕込みに◯時間掛けて、火加減は◯◯で〜」と話したら、せっかくの料理も興ざめします。

ただただ美味しいものを作り続けて、お客様からお声がけ頂いたらそれを誇りにまた精進し続ける。

シンプルが故に難しそうです。

ですが、非常に仕事に誇りを持ったプロフェッショナルに感じます。

そういう料理人になるべく、今後も頑張っていきたいと思います。

それではまた明朝。



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