怒りのパワーは楽しく、そして怖い
さんざん言われてきたことあえてもう一度言ってしまうけど、最近はテレビ、ネットニュースなど様々なコンテンツでいかに庶民を「怒らせるか」を競うゲームになってきているなと。
「怒り」のパワーって喜びや悲しみよりも強い。でも没頭すると楽しくなってくる怖さがある。
10年ほど前のことだったか。世間ではmixiが大ブームとなっていた。私もmixi上に日記を書いたり、趣味のコミュニティに入ったりと楽しんでいた。そうやって思い出すとmixiって楽しかったな…というのは置いておいて。
ある日、mixi内のとある野球チームのコミュニティが盛り上がっていた。今でいう炎上、当時は「荒れる」と言っていたかもしれない。
盛り上がっていたスレッドは「球場マナーについて」。
もうピンときているかもしれないが、「球場にこんなにマナーの悪い客がいた」という事例を各自が連ね、それに対して「それはひどい」と賛同の声があったり「それは仕方ない場合もあるんじゃない?」とたしなめたり
かくいう私もそのスレッドが面白くてわりと頻繁に覗いていたのだった。恥ずかしい話だが、マナーが悪い人の話を聞いていると自分がまともな人間に見えてくる。そんな心地よさがあったのだと思う。
そのうち「マナーを守れない日本人がこんなに多いのはすごく悲しい。このままだと日本が嫌いになりそうなので、この話題はここまでにしませんか?今までのように楽しく野球を観戦したいです」のような、なんだそれと言うような意見が書き込まれ、このスレッドは次第にフェードアウトしていったのだった。
しかし、この時すでにネット上で怒ることの気持ちよさと怖さに気づき、自分をたしなめることができた人はどれだけいるだろうか。
ネットがない時代だってテレビの中の人に怒るのは気持ちがよかったと思うが、ネットだと反応がすぐにくるし賛同してくれる人もいる。それだけに発言は次第に過激に、雪だるま式に大きくなっていく。
クローズドなmixiからオープンなtwitterへ。有名人に直接メッセージを送ったりもできるようになり、雪だるまができる速度は段違いに速い。
そこへきて、テラスハウスの花ちゃん自殺問題。
私は自粛期間にネットフリックスに加入し、テラスハウスは結構見ていただけにショックはかなり大きかった。
ワイドショー、ネットニュースはもちろん、通常のニュースやもしかすると一般紙にも取り上げられていたかもしれない。
wikipediaにもざっくりと経緯が書かれていた。1997年生まれという文字を見て余計胸が痛い。
https://ja.wikipedia.org/wiki/木村花
この番組自体は当初から「怒り」で成り立っていたようなところがある。スタジオでしゃべるタレントさんも「視聴者が怒りたくなるダメな奴」が出て来るとみんなでいじり、番組は確かに盛り上がった。
花ちゃんは入居当初あるバスケ選手に恋をした。恥ずかしがって喋れなくなるその姿がかわいらしいと、ネットの反応も好意的だったように思う。
それがある事件(コスチューム事件)をきっかけに天から地へと一気に好感度がダダ下がり、ネットでひどく叩かれる事態になったのだった。
はじめはまともな批判や戒めも多かったのだが、それでは足らず次第ネット上は悪口大会になっていく。
しかし普通に考えて一人の人間がそんなワンシーンだけで善人から悪人になるわけない。編集の上手さと、さらに火に油をそそぐ番組公式のyoutube配信によって、花ちゃんは完全にターゲットになってしまったのだった。
このターゲットがテラスハウスの肝。それはいじめのように次々と変化していく。山ちゃんなどタレントさんのいじりは見ていて不快に感じるほどひどいこともあった。
なんていう番組を喜んで観ていたのだろうか。
自分を含め愚か者は世の中に多いのだ。
コスチューム事件後、ネットにはどこか楽し気な怒りのコメントであふれた。いつかのmixiコミュニティのように「それは仕方ない場合もあるんじゃない?」とフォローする人はほとんどいない。
みんなが叩いて盛り上がっているときに反対意見を言うのは恥ずかしい、そんな空気があの頃よりも蔓延している。
思えば私も当時はたとえ少数派でも自分の意見は書き込んでいた。今ならなんとなく無言になってしまう。
空気を読まない正義感は、怒りの時代におけるたったひとつの希望なのかもしれない。中二病と言われてもいい。私はそうありたい。
花ちゃん、安らかに。
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