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武田砂鉄さんの記事が良すぎた

もうそろそろ落ち着いたころだろうか。

世間、というかネットやワイドショーではアンジャッシュ渡部の不倫ネタで大盛り上がりしていた。

「他人の不貞行為を外野がああだこうだ言うのは下衆」というのは多くの人が思っているような気はするが、それなのになぜここまで他人が怒っているのだろうか…と首をかしげていたところ、武田さんの記事が見事に言語化してくれていた。

”高揚”……確かに。以前「怒り」の楽しさについてnoteに書いたことがあったが、”楽しい”というより”高揚”が合っている気がする。

ー自分はそんなことしない、だから自分は「ある程度」まともである。ー
と考えることは心の平穏を保つのに有益だ。

昔ドラえもんで見たある話が強烈に印象に残っている。

「ぼくよりダメなやつがきた」だ。

勉強も運動も苦手なのび太だが、ある日のび太よりももっとできない少年(多目くん)が転校してくる。のび太は嬉しくて、その少年をバカにしながら毎日を生き生きと過ごすが、見かねたドラえもんがある道具を出す。

『配役いれかえビデオ』。ドラえもんはのび太にあるビデオを見せた。ここ数日の様子を、多目くんをのび太に、のび太をスネ夫に入れ替えた映像のビデオだ。映像にはスネ夫に意地悪されるのび太(つまり自分がされていたことをそのまま多目くんにしていた)の姿が……。のび太は反省して心を入れ替えるのであった。

というようなすごく考えさせられるお話。
自分よりもできない人がいてホッとしたという経験を持っている人は多いのではないだろうか。まじめな人ならば、この漫画もしくはアニメを見て、面白いというよりは、反省するに違いない。

別にアンジャッシュ渡部は多目くんではないのだが、昨今の何かをやらかした人をたたく風潮はこの漫画に通じるものがあると思う。自分に自信がない人ほど喜んで叩く。

また、武田さんのコラムのこの部分はすごく納得できた。

「どうして人の不倫を他人が叩くのか」と疑問視する世論も整ってきたので、すると今度は、不倫によって生じた感動の場=「相方の謝罪」「配偶者の理解」に体を寄せていき、それを盾にしながら射的を楽しむようになる。

なるほど、なんとなくゲスいことしてるとわかっているから、周囲の人間(今回は相方や妻、番組関係者)に同情したふりをしつつ遠回しに叩いているんだな。

「自分に自信がない人ほど喜んで叩く」と書いたが、私も自信のなさだけには自信があるので何かあったとき(ゲスい人が登場したとき)に、正直言ってめちゃくちゃ叩きたくなる。実際叩いちゃったこともある。

だから日々戒めつつネットを見たり書き込みしたりしている。うっかりヤフコメなんかを覗いて、めちゃくちゃな意見を目にした日には精神的な疲れは倍増。

何も考えずに叩いて笑って、自分の行動を振り返ることなく健康的に生きて、孫に囲まれてぽっくり逝く人もいるんだろうか。

そんな風に生きたいような生きたくないような。


……やっぱり嫌だな。

品行方正な人ばかりではつまらないのは事実だけど、プライドだけは持っていたい。ルールやマナーではなくて、プライドを。

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