次回NovelJam参加を迷っている方へ
はじめに
この記事のタイトルは作為的である。
なぜこんなタイトルをつけることになったか。それこそが今回NovelJamに著者枠参加して得た大きなものであると思う。
ここに書いてあること
NovelJamに何を考え参戦して、実際には何を得たか。
だったら「参戦記」でいいじゃん。いやいや。
次世代に説教めいたことを書く気はない
だったらなんでこんな題名にしたかは最後に書く。
NovelJamって何? という方への参考リンク:
https://www.noveljam.org/
期待と効果
事前に何が得られると期待したか
1)執筆持久力
2)知名度向上によるWEBコンテンツのPVや売上の向上
3)孤独な作業として行っていた執筆に他者が介在することによって得られる、何らかの未知 の効果
期待に対する評価
1)つかない!
その後の一日あたりの執筆文字数は特に向上しない。
さすがに2日間みっちり筋トレしたぐらいでスポーツマンになれるわけがない……。
2)今のところ上がっていない。もし賞が取れたら変わるかも。
3)これは重要だ。以下の2つが得られた。
a)自分では思いつかなかったタイトル
b)自分では思いつかなかった文体
a)「友達の友達は友達ではない!」という私のタイトル案に対して、編集さんの「フレンドプロジェクト」という提案で格好良くなり、さらに私が「フレンドオブフレンドプロジェクト」として、格好良さと固有性を両立できた。
b)「人に見せるプロットだからしっかり書こう」という思いが強すぎて勢い詰め込みすぎてしまったものを、編集さんが「記録文風に」と言ってくれたことであの文体に。バッチリはまった!
そうやってできたのが以下の本。
期待以外のこと
じゃあ、予想しなかった効果はなにか
たぶん本記事の読者はこういうのを求めている。
それは、むしろ執筆後に訪れた。
NovelJamは執筆して終わりではない。それは事前に知らされていたことで、後から販促が必要なのはわかっていた。
だが、それに対するモチベーションが全く違う。
今まで自分の作品が売れなくても「ま、しょうがない次行こう」としか思わなかった自分が、しつこく販促作戦を繰り出している。
「仲間と一緒に創った作品だから」という単純な事実が自分をドライブすることに私は自分で驚いた。
主な販促施策についてその狙いについて説明する。
i)PV動画作成(リンク)
・弊チームデザイナーさんが作成した本格的な動画には及ばないものの、会社で展示会のために、(いろいろとアレげな指摘により深夜に作り直しになったりして…はまあよい)動画ソフトを使った経験が生かすことができる。
・「自分が『ストーリー』に興味を惹かれる」場面って何だろう? と思った時に、「映画の予告」が真っ先に思いついたため。
ii)サイドストーリー作成(リンク1,リンク2)
・パワポ資料と、作中人物の「細川」の腐女子視点による新解釈披露。後者は、ところどころシーンをぼかして、「本を読まないと確認できない」状況を形成し、気になる効果を狙った。
iii)ネタ記事作成(リンク)
・あるIT記事で、明らかに「このスマホでしかできないことが何ひとつない、スマホ紹介記事」をついつい最後まで読んでしまったことがきっかけ。
・(目を引くには理路整然としている必要はないんだ)と考えて「なぜ成功者は『フレンドオブフレンドプロジェクト』を読むのか」という自虐コメディ系ネタ記事を書いた。
・実はNovelJam本番のネタ候補のひとつに、「要は目を引くインパクト勝負」というコンセプトの「なぜ優れた作家は相転移するのか」というものもあってそれを実現してみたかったというのもある。
以上が狙いの説明だが、大事なことは、この狙いの内容よりも、「このような狙いをこめて施策を打つほどのモチベーションが得られた」ということである。
今後の創作界におけるNovelJamの価値
NovelJamの価値というものを3つに分けてみた。今思いついた程度の分類で、異論も追論もあるだろうがとりあえずこの分類で話を進める。今は「作家が自ら販促できなければならない時代」とされる。
【道場としてのNovelJam】
耐久力はつかなかった。創造性が上がるかというのは自己判断しにくいものだ。少なくとも自覚の範囲内では、販促に今までで一番労力を注ぎ、その訓練になったという点が一番大きいだろう。創作そのものよりも、販促の動機付けに大変有用だった。作者自ら販促ができないと生き残れない、と言われる時代に極めて良い効果だったといえる。
【祭りとしてのNovelJam】
昔からドンドンぱふぱふ系活動は見る側の人なので、あまりその立ち位置、もしくは意識が変わったとは思われない。単純な楽しさはあった。
【創作啓蒙としてのNovelJam】
このような活動がこの世に存在して、世に知らしめる……という点では自作の販促と同等の効果であろう。だが販促は「訓練」という側面で大いにプラスになった自覚がある。NovelJam、もしくは創作活動自体の啓蒙となると、訓練ではなく求められるのは結果であり、その点で影響力の大きい人物に変貌できたという自覚は得られていない。
つまりは、NovelJamで一番価値が大きかったのは販促のモチベーションが得られる事実である。祭りや啓蒙という効果は、それが得意分野の人であればまた大きく違うと思うし、実際参加者の中に、この人はこれが得意なのだなあという人物は観測できた。
この記事のタイトルが上記になった理由
現在、NovelJamはどのような人々に注目されているか?
執筆日の前にも後にも、私は状況を観察してみた。
・「一般読者」か?
・「クリエイター」か?
この二択で考えると、圧倒的にクリエイター側だ。このこと自体の是非は措く。
では、この人たちが「注目するタイトル」は何だろう?
そう考えた結果が上記のタイトルである。クリエイターとは本能的に「自分の作品を他人に見せたい」人物であり、その目的に対してメリットがあるか・ないかは大きく閲覧への動機付けになる。「参戦記」と書くよりずっと食いつきは良いはずではないか。
正直、本当に次回参戦を検討する方への指針となるかどうかはわからない。だが、そのような方は当然情報収集から始めるので、この記事がその一助となれば幸いである。
情報収集にあたり、どのような本が書かれたか、以下をクリックして実際に読んでみることをお勧めする。
……という、販促への往生際の悪さ。
これこそ冒頭で述べた「今回NovelJamに著者枠参加して得た大きなもの」なのである。