狭い世界といじめ

こんにちは、KAIです。

旭川のいじめのニュースを見て、書きたくなりました。

KAIは中学2年生の時にいじめを経験しています。
筆箱を隠されたり、上履きに画鋲が入っていたり、すれ違うときにたたかれたり、とそういう感じです。
しばらく耐えていましたが、あまりにも学校に行きたくなくて、でも親には言えなくて。

学校から帰ってきて元気がなかったり、朝の様子を見て母が気づき「学校でなんかあったの?」と聞いてくれました。
意を決して「いじめられてて学校に行きたくない」と泣きながら伝えたら
「そうなんだね。それなら行かなくていいよ。お母さんにとって貴方が幸せになることが1番大事。行って幸せにならない場所なんて行かなくていい」と言われそのまま母は「今日は休みます」と学校に電話してくれました。

「そっか、行かなくてもいいんだ」とすっと肩の荷が降りたのを覚えています。「行かなきゃいけないもの」と認識していたけど行かなくてもいいのか、と。

それからは家で好きな本を読んだり、散歩したり、ペットを可愛がったり本当に好きに過ごしました。それでも家族は学校や勉強については一切何も言わずにいつも通り接してくれてました。

僕の場合は1年ほどして「でもこのまま勉強していないと高校も行けなさそうだしやばいかも」と思って、兄姉が通っていた塾の姉妹校を最寄駅から2つ離れたところに見つけて「ここに行って勉強したい」と母に伝えました。

二つ返事で「わかったよ」と言ってくれて丸1年間塾だけで勉強しました。
中学校は約2年間行っていないけど無事に高校にも合格し、大学にも行けて、その後は普通に就職もして、今では自分にも幸せな家庭があります。

今なら、当時の母の発言の重さ・勇気・想いの強さ・有り難さが痛いほどわかります。
口で言うのは簡単でも「世間体を無視して、子を根拠なく信頼して、見守る。口出ししない。お金は出す」というのがどれほど大変なことかわかります。

お母さん同士の付き合いもあります。当時自分が住んでいたマンションには同じ中学校に通っている子が5人いました。スーパーでお母さんと会うこともあります。
「そういえば●●くん、学校行ってないんだよね?」と言われることもあります。学校の先生からは良かれと思って「学校に来られそうでしょうか?」と聞かれることもあります。

いろんなプレッシャーや想いが錯綜する中で、それでも自分の芯を動かさずに、子どもには余計な感情が伝わらないように、いつも通り接することは大変です。
僕には兄と姉がいます。2人の悩みも聞きながら、働きながら、ご飯を作りながら、周りの子とは違う生活をしている我が子に対して口を出さずに見守るのは、並大抵のことではなかったと思います。本当にお母さんありがとう。


いじめの話題になると「いじめられた方にも問題がある」とか「親がなんとかできなかったのか」とか言う人がいますが、断言します。
いじめらた子とその親は一切悪くありません。悪いのはいじめた方です。
悪い人は明らかなのに、被害者と親密な関係を持つ人に罪悪感を抱かせてしまうのがいじめです。
親も自分を責めてしまい、周りの友人も「あの時、私が声をかけられていれば」と自分を責めてしまいます。

「いじめた子も魔が刺しただけで、悪気があったわけではない。だから守る必要がある」
そうです、守る必要があります。だからこそ何が悪いのかを大人が教える必要があります。未来に同じようなことを起こしてしまわないように、今のうちにちゃんと正しく反省をしてもらう必要があります。
自分がやられて嫌なことを、集団の威を借りて・立場を利用して人にする最悪な大人になってしまいます。自覚がなくても悪いことをしたら面倒なことになる、というのを今のうちに知らせないと取り返しのつかないことになります。


僕はいじめの話題になると必ず思い出すエピソードが2つあります。
1つは海外の話。

たとえばフランスでは、いじめが発覚したら、いじめっ子がカウンセリングを受けます。その間、いじめっ子は学校に来れません。いじめられた子はこれまで通り学校に通えます。
いじめた理由が、精神的不安定の為なのか、家庭環境の為なのか、医療的なことなのか、加害者の子どもの原因を探り、解決したらいじめっ子が学校に来れるようになります。
必要に応じて校長先生・いじめっ子の親・その子ども・カウンセラーの先生で面談もします。

”いじめっ子が悪い”とは言いますが、その子自身が悪いわけではない可能性が高いです。
人を殴りたくて殴る子、他人の筆箱を隠したくて隠す子はいません。行動には必ず原因があります。その子自身ではなく環境がそうさせているのであれば、その環境を整えてあげるのが周りの大人がすべきことです。そしてそれは親が抱えるのではなく、社会全体で支える必要があります。

もう1つはさかなクンの話です。

◼︎東京海洋大客員助教授・さかなクン
中1のとき、吹奏楽部で一緒だった友人に、だれも口をきかなくなったときがありました。いばっていた先輩が3年になったとたん、無視されたこともありました。突然のことで、わけはわかりませんでした。
でも、さかなの世界と似ていました。たとえばメジナは海の中で仲良く群れて泳いでいます。せまい水槽に一緒に入れたら、1匹を仲間はずれにして攻撃し始めたのです。けがしてかわいそうで、そのさかなを別の水槽に入れました。すると残ったメジナは別の1匹をいじめ始めました。助け出しても、また次のいじめられっ子が出てきます。いじめっ子を水槽から出しても新たないじめっ子があらわれます。広い海の中ならこんなことはないのに、小さな世界に閉じこめると、なぜかいじめが始まるのです。同じ場所にすみ、同じエサを食べる、同じ種類同士です。
中学時代のいじめも、小さな部活動でおきました。ぼくは、いじめる子たちに「なんで?」ときけませんでした。でも仲間はずれにされた子と、よくさかなつりに行きました。学校から離れて、海岸で一緒に糸をたれているだけで、その子はほっとした表情になっていました。話をきいてあげたり、励ましたりできなかったけれど、だれかが隣にいるだけで安心できたのかもしれません。
ぼくは変わりものですが、大自然のなか、さかなに夢中になっていたらいやなことも忘れます。大切な友だちができる時期、小さなカゴの中でだれかをいじめたり、悩んでいたりしても楽しい思い出は残りません。外には楽しいことがたくさんあるのにもったいないですよ。広い空の下、広い海へ出てみましょう。

諸悪の根源は暇であることだと思います。他にやることがないからいじめた当人は暇つぶしでやっています。それがその子の人生を大きく変えるとも知らずに。

夢中になれる何かがあれば、いじめなんてやっている暇はありません。
広い世界を、世の中には面白いことがたくさんあることを、
全ての子ども達に伝えることができればいじめはなくなると思います。
大人が、そんな社会を作りましょう。協力してくれると嬉しいです。
僕も頑張ります。

※子どもの支援を行っているNPOの方やそういうNPOをご存知の方がいたら教えていただけると嬉しいです。
ここにそのサイト等を追記いたします。

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