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「わからない」は悪じゃない『進撃の巨人』完結に寄せて

※2021年6月10日に配信したメールマガジンに掲載したテキストです

えんとつ町のプペル』観ましたか? 私は観ていませんすいません。ただ、西野亮廣氏が以前こんなことを言っていたのを覚えています。

人は答え合わせのためにこそ動くんだ」と。

昨年のジブリの過去作品上映や映画『鬼滅の刃』大ヒットなど、“すでに情報として知っているもの”を確認しにいく事例を挙げていた。

豊かな時代だったらいざ知らず、現代において「時間とお金を払ってハズれるのはダメージがでかすぎる」と。プペルはそもそも原作の絵本も大ヒットしたし、映画の封切り前には台本も販売していた。

すべては選択の連続であり、選択には負荷がかかる

先日、KAI-YOU Premiumで掲載した、渋谷の老舗・clubasiaの店長とVRChatの電脳クラブ・GHOSTCLUBの主催との対談でも、店長のこんな発言があった。

昔と比べて、今は、このイベントに行ったらどんな音楽がかかるか、以前よりも明確に出さないといけないし、こういうものをやってるということが明確になってないとお客様の足も向かない。クラブにお金を払うということに対して、お客様自身も以前よりシビアになってきていることは実感しています。だからこそ、発信する側がちゃんと発信していかないといけません。これは現実のクラブのイベントも配信イベントも一緒だと思います。

clubasia×GHOSTCLUB対談 - 「リアルの方が偉いと考えがちな人は多い」リアルとVRクラブの店長対談

日本は不況で、可処分所得や可処分時間が限られていくから、ますますこの傾向は強まっていくだろうと思う。

そうでなくても、超情報化社会になって、取捨選択しなければならない局面が増え、選択肢がどんどん膨大になっている。

これはひろゆき氏からの受け売りだけど、選択する、決断することは、意外とめちゃくちゃ負荷がかかるものだそうだ。

コロンビア大の教授の調査によると、典型的なアメリカ人が通常1日に下す決断の数は平均約70とのこと。

https://www.ted.com/talks/sheena_iyengar_choosing_what_to_choose/transcript?language=ja

もちろん、経営者たちのそれは倍以上だという。

よく知られている話として、ジョブズがなんでいっつも同じ格好をしてたかと言うと、選択をする回数を減らすためだった。

仕事に限った話じゃなくて「今日何を食うか」「今日何を着るか」みたいな生活にまつわる選択も同じだ。

ちなみにひろゆき氏は外食をする時、自分で金を払う時は安いコースから順に見ていって良さそうなもので手を打ち、逆に人に奢ってもらう時は一番高いコースから見ていくことでなるべく選択肢を減らすようにしているそうだ(笑)。

負荷がかかるものは、これからもどんどん嫌われていく傾向にあるんだろう。

「安心する、わかりやすい」リニアなコンテンツ体験

物事に意味や理由がなければ不安な人たちは、今や宗教にすっかりとって代わった陰謀論に救いを見出す。それがどんなに荒唐無稽だとしても。

当然、これは「今日何を観るか」「今日何をするか」という余暇の使い方やコンテンツの選択にも同じことが言える。

誰も知らないものに逆張りし発掘することを自負してきたオタク像は、今や売れているもの、話題になっているものは必ず通っていなければならないという、かつてと真逆を意味するカテゴリーになってきている(DISってるわけじゃないょ)。

リニアな体験は、とても気持ちがいい。感情の置き所を舗装しておいてくれるコンテンツは安心できる。

ドラマや映画、アニメもだし、日本のバラエティも典型的だけど、それらの多くは、かなり意識的にそういうわかりやすいつくりがなされている。

演出、音楽、テロップは、今この場面では笑えばいいのか、泣けばいいのか、怒ればいいのか、それと意識させずに自然と感情を誘導してくれる。

マーケティング的には正しい。それに、みんなきっと良かれと思ってやっているはずだ。観客を突き放すものは、悪しきものだ。

YouTubeにもそういうタイプの親切な動画が如実に増えてきてるけど、それでもカオスな動画や配信者が現状はまだまだ残っている。

そして、年をとればとるほど、舗装されたコンテンツの方が楽に感じるようになる。加齢によってエネルギーが衰えるのはもう物理法則であって超科学がなければ覆らない(『老いなき世界』が大ヒットしてたけどあれはユートピアなん?)。

だから必然、少子高齢化については歯止めをかけられないことが確定してる日本で、不況を突っ走って1人あたりのGDPがこのまま下降を続けるなら(20年前は世界3位だったけど今や19位)、きっとますます“わかりやすいもの”が存在感を誇示していくことだろう。

これはもう良い悪いじゃなくて、すでに確約されたと言っても過言ではない未来の話だ。メディアを運営する身としては、このことを真剣に考えなければいけない。

ただ、俺個人は、自分を立ち止まらせてくれるものこそが最良だという考えは変わっていないし、KAI-YOUはそういうものでなければ存在する意味がないと思っている。

わかりやすいものは世の中にすでに溢れているので、わざわざやる必要がないからだ。

秩序より混沌を、ポピュラーよりもポップを。

足を立ち止まらせてくれる『進撃の巨人』

さて、本日、『進撃の巨人』最終巻が発売された。11年の連載に幕だそうで。よくもまあ、10年もかけてこんな物語を描き切ったもんだと思う。

諫山創および別マガ編集部には、圧倒的敬意しかない。

単行本に収録されていない、最終話掲載時の編集部からのあとがきも素晴らしかった。

11年7か月の間には決して良いことばかりではなく、困難や悲しみや別れがこの作品を襲いました。
それでも、物語を通じて人と人が「言い表せない感情」を共有すること以上に価値のあることは無いように思います。

『進撃の巨人』最終話、別冊少年マガジン編集部「「進撃の巨人」読者の皆様へ」より一部引用

言い表せない感情。クトゥルフ風に言えば「名状しがたい感情」というやつ。人の足を止めるものの一つはきっとこういうものだ。

進撃の巨人』には何度も足を止めさせられてきた。読む進めるのが正直しんどいこともあった!

そこにあった不条理や理不尽、消化できない感情について、私たちが激論を交わした奮闘の記録はここにあるので、最終巻を読んだら是非立ち寄ってね(宣伝)。


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