愛猫 闘病日記・9週目①
前からの続きです。
2/17水曜日に4回目の抗ガン剤治療に病院へ行った。
「今回の抗ガン剤は二種です。一回目と同じ内容なんですが…どうしましょう。今日二種やるか、今日一種やって3日後にもう一種やるか。結構キツイ薬なので。」
そう先生に言われて迷った。この1週間の調子の良さを思うと平気な気がする…先生が聞くってことはホントにキツイんだろな…でも一回目でも3日目にはご飯食べてたよね…大丈夫じゃないかな…?1回目打って三日間ご飯食べれなくなって、2回目打って三日間食べれなかったら、体力また落ちちゃうよね…一回で苦しいの終わらせた方がいいのかな…でも、でも…
ぐるぐると考えた。先生はどっちでもいいよという感じだった。私は悩んだ末に、二種打ってもらう事にした。猫の調子の良さに期待して、だった。
4回目の抗ガン剤治療をして、翌日からの抗生物質の注射の量は今までの半分でいいと言われた。回復に向かってるんだなとホッとした。
帰宅したら、猫はいつもよりご飯を食べて調子が良いようだった。
木曜日金曜日はちょっと元気ないけど、みんなに甘えて、夕飯の席についてた。私の膝にも入った。ご飯もちゃんと食べた。朝起こすのも、帰宅のお迎えもしてた。尿も排便も問題なかった。
2/20土曜日、この日は朝のお迎えがなかった。
それでも一階の階段下には来てた。その後はずっとコタツの中にいた。ご飯はスプーンひとさじ。でも父のお腹の上に、すごく久しぶりに乗り上げたので、父は「調子悪いけど、大丈夫そうだな」と思ったらしい。
しかし、仕事から帰宅してもお出迎えがなかった。ずっとコタツの中にいて出てこない。夕飯時、コタツ布団の上にはいても、スツールの席には来ない。
「やっぱ抗がん剤キツくて調子悪いのかな」
その程度に考えてた。これを乗り越えたら「良い時が2,3ヶ月続きます」て先生も言ってたから。
でもトイレ行くのもフラフラして歩けてるのが不思議なくらいで、尿の色は真っ黄色だった。トイレから出て倒れてしまった。脚の力がほとんどない。
「大丈夫だよ。抱っこするよ」
抱き上げてコタツ布団の上に乗せてあげた。
先生に電話しようかと考えた。まだ19時前だから診療時間内だ。でもここで病院に連れていっても全快はしない。それどころか入院になって最期を看取ってあげられないかもしれない。それはイヤだ。
認めたくないけれど、もう最期になるかもしれないと、なんとなく、薄らと予感がした。
21時前にコタツからリビングの椅子の後ろに移動して寝転がった。涼しい所に行きたいのかな、そういう事も前からよくあったし。そんな風に思ってお風呂に入った。
お風呂から出ると母が猫に寄り添って声をかけていた。どうしたんだろ。
「猫が口で息をしだしたから、もう危ないかもしれない」
そんな…
母と入れ替わりで猫に付いた。たまに顔を上げたり体制を変えようとするが、できない。上半身しか動かない。前と呼吸が全然違う。口でゼェゼェ息してる。見てるうちに酷くなっている気がした。立ちあがろうとして、出来ず、後ろ脚がおかしな体制になってしまった。
「大丈夫だよ。楽な姿勢にするからね」
声をかけて香箱座りのような体制にしてあげた。
「お父さん、猫もう死んでしまうかもしれない」
21:45頃そう声をかけた。父が急いで猫の側に来て、兄も部屋から出てきた。猫が動こうとするから父が抱き上げて玄関近くの涼しい所に連れていってあげた。降りたいともがくのでそこで横にさせた。
猫は苦しそうに何度か上半身の体制を変えようとしていた。頭を右にしたり左にしたり…たまに苦しくて惑うような動きをした。何度も吐こうとして吐けず「ウゥ…」と鳴いた。
本当に苦しそうに呻いているのを見ていて、ものすごい後悔が押し寄せた。
「ごめんね、やっぱり2回に分けて抗がん剤すれば良かったね。つらいね。苦しいね。ごめんね」
何度も謝った。私の判断でこんなに苦しませてしまった。でも、本当にこのまま逝ってしまうとしたら、こんな言葉で終わりたくないと思った。
「いい子だね。エライね。ありがとうね」
そう言葉を変えて、何度も言って頭を撫でた。
そのうちに身体を横の体制にして口が開きっぱなしになった。ゼェゼェが激しい。呼吸でお腹が上下しているのが、だんだん小さくなっていく。
ある時「ンアァ〜〜〜〜〜」と長く鳴いた。私たちは「ここにいるよ。みんないるからね」と声をかけ、頭を撫でた。
「ねぇまだお腹動いてる?呼吸してる?」
涙でよく見えない。
その鳴き声が3回ほどあって、やがて呼吸でお腹が上下しなくなった。
でもたまに引きつけのようにカクッと口が動いた。死んでしまったのかわからなくて心臓の動きを確かめたけど、わからなかった。
たぶん、あの鳴き声が最期だったんだと思う。
22:48だった。
続
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