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野津田ノスタルジア

先週末、FC町田ゼルビアのファン感謝祭に行った。某選手のサイン会が無駄に当たってしまったというのが表向きの理由なのだけど、ちょっと別の理由もある。

お客さんがあらかた帰った後、普段座ることのないメインスタンドの最上段に座って、しんとした空気の野津田を眺める。澄み切った空、そして奥には深秋の紅葉。今年もJリーグという長い仕事を終えて、一息ついた静かなスタジアム。

これは2017年くらい

野津田に初めて来たのは、町田がJFLへ逆戻りした頃だった。メインスタンドはギリギリできていたが、今の大きなバックスタンドは影も形もなかったし、電光掲示板も電球式だった。町外れにある市営の陸上競技場が、少しずつJリーグのスタジアムっぽくなっていく過渡期で、私の目にはすごく魅力的に映ったのを覚えている。

町田を応援するようになってからは試合の有無に関わらず、幾度となく足を運ぶようになった。壁打ちテニスをするおじさんやスケボーに興じる若者を横目に見つつ、幕を描いたり干したり。「何を描いているの?」と散歩中のご老人に聞かれることもしょっちゅうだった。
揉め事やら何やらのおかげで、日付を跨ぐまで公園にいたこともある(すみません)。「夏はGが出るから」と、客席の下にしばらくゴキ●リホイホイを置いたこともあった(できるだけ見ないようにして捨てた)。いいことも悪いことも含めて、ここは自分のホームである。初めて来てからたった10年ちょっとだけど、そう感じられるようになった。

そういえば、町田を応援するようになって最初にやったことは、J1規格に沿ったスタジアムへの改修を求める署名活動だった。そのおかげでバックスタンドができ、ふるさと納税で照明がLED化され、悲願だったJ1規格の環境が整っていった。多くの反対意見もありながら、町田市民の声とお金で、少しずつできていったのが今の野津田だ。ここにはいろいろな人たちの苦労が詰まっている。

もちろん、この環境がクラブにとってベストだとは思っていない。J1に上がって、アクセス面の脆弱さが完全に露わになってしまった。ゴール裏に屋根はないし、陸上競技場だから決して見やすくもない。町田駅前の再開発が議論されるに当たって、「新スタジアムを」という声がサポーターの一部から上がるのも理解できる。広島や吹田など、成功例とされる新スタジアムをJ1で体験できたことも要因になっているだろう。
その一方で、DX化され、デジタルマーケティングの器となったピカピカの専用スタジアムに、何の感情も湧かないのは私だけだろうか。多分私だけなんだろう。

あえてFCBの時の写真にしとく

これまで世界のいろいろな最新鋭のスタジアムに行った。でも、町田に欲しいと思ったものは正直一つもない。スタジアムに価値をつけるのは、クラブがそこで培ってきた歴史であり、自分たちがコミットしてきた汗や涙であり、その街の人たちの愛情だと思う。それが感じられないスタジアムは、所詮プラスチック細工のようなものである。

この1年を通して、野津田全体のリアクションが少しずつ大きくなり、自分の場所でできることをやろうとしている人が増えてきたように感じた。野津田の雰囲気はこれからもっと良くなっていくし、そういう未来にワクワクしている。環境を整えてもらわないと生まれない「夢と感動」なんて、果たして本物なんだろうか。

FC町田ゼルビアは、ありとあらゆる「足りないもの」をみんなで補いながら上がってきた。サイバーエージェントが入ってきて一気にいろいろなことが整ったけど、その努力はクラブの伝統として辞めちゃいけないと思う。だからこれからも、その舞台が野津田であってほしい。少なくとも私はそう思う。こんな懐古的な意見、顧みられることは多分ないのだけど。


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