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真也加チュイ大夢について

チュイに初めて会ったのは5年くらい前だ。

ある日、いつものように町田のゴール裏にいたら、SVOLMEのジャージの一団がいた。その中にいたちっちゃい少年が、13歳のチュイだった。

当時のゼルビアJYの監督は酒井良で、ことあるごとにアカデミー生をゴール裏に送り込んできた。そうすることで、彼らは「どのように戦うか」だけでなく「誰のために戦うか」を学び取っていた。

初めのうちはかなり固い表情をしていて、試合中に煽ったらかなりドン引いていたのをよく覚えている。それでも何度か足を運んでくれるうちに表情も柔らかくなり、仲間たちと少しずつ応援に加わるようになっていった。たった5年前だけど、古き良き時代の記憶だ。

応援に来てくれたこともあって、私もU-13の試合に足を運んだ。身長は低いが、柔らかいボールタッチと、勘所よくスペースへ前進していく運動量。自分から目立とうとする選手ではないが、気がつくと彼が中心になってゲームが動いていた。

コロナ禍の時期、私のような「親でもない」人間は試合観戦を許されなかった。久しぶりにチュイを観たのは昨年の2月だ。彼は高校生になり、身長が伸び、どこにでも顔を出す運動量とスピードを身につけていた。元々持っていた鋭いキックもさらに切れ味を増し、プレミア勢であるFC東京U-18を破った。

今年の1月には、トップチームの沖縄キャンプにも足を運んだ。チュイ、カケル、オウタのアカデミー3人衆が参加したからだ。どのメンバーも三者三様に苦労していて、正直通用していたとは言い難い。それでも、一番もがいて何かを見つけようとしていたのはチュイだったように感じた。

「ちゃんとメシ食ってる?」
スタッフと長い間話し込んだ後、チュイは私の呼びかけに応じてくれた。
「はい、食べてます」
はにかみながら答えるチュイの後ろを、両手にどんぶりを抱え、箸を口に咥えた青木義孝が通り過ぎた。
「…あれくらい食べなきゃダメだぞ」

その後、ゼルビアユースは2年連続でT1リーグの優勝をわずかに逃し、クラブユースは関東予選で三菱養和に完敗。全国的にはほとんど無名の状況で、チュイはJ1で3位のクラブに入団することになる。
また、青木義孝は鹿児島ユナイテッドFCへ完全移籍。樋口堅は沖縄SVに期限付き移籍で出たままだ。町田憎しの人から見れば、「抜け道でHGを埋めようとするセコいチーム」と見えるだろう。HGを自分たちのアカデミーで埋められないのは、ただただ悔しいとしか言いようがない。

2021年に菅澤大我氏がアカデミーダイレクターに招聘されて以来、アカデミーのカルチャーは大きく様変わりした。それをネガティブに捉える人もいるし、私も寂しく感じることもある。
しかし、大好きなサッカーで飯を食える若者が一人でも増えるなら、それが町田の子どもたちの希望になるのなら、昔の思い出は心の奥にしまい込んでおくしかない。そしてよい兆しは、わずかながら見え始めている。

これから飛び込むのは修羅の道だ。彼のことを知っている人は少ないだろうし、期待をかけている人も少ないかもしれない。それでも、毎日もがいてもがいて、自分の牙を研ぎ切った先に、何か小さな変化が待っているかもしれない。彼がそれを積み重ねていく日々を、私は陰ながら見つめていきたい。

とりあえず、サインは早めに貰っておこう。いつの日か、見せびらかして自慢できることを信じて。

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