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「ありがとう」なんて言えない(福井光輝の移籍について)
注意!これから書く内容は全部感情論です。でもファンって理屈じゃないでしょ?
最近Jリーグクラブの公式SNSで、移籍する選手に長文のメッセージを送るのが流行っているようだ。担当者の目線で、その選手がどのような性格で、どのように振る舞ってきたかを示し、最後はエモーショナルな言葉で締める。確かにクラブスタッフの目線でないと言えないことだし、クラブの内情を(すこぶるポジティブに編集した形で)伝えていくのは、サポーターという特殊な顧客に対するコミュニケーション手段としてとても有効なのだろう。
SNSにはたくさんの「好き」と「嫌い」が溢れている。「今日も仕事だるいなー」という投稿が多くのインプレッションを稼ぐことはない。狙いきったポジとネガこそが莫大な感情の束を生み出し、収益につながる。誰かを賞賛しきってひな壇に上げる(もしくは叩きまくって血祭りに上げる)祝祭は日常化して、みんなのお手元に揃っている。結果、「ありがとう」はインフレする。
「ありがとう」はエネルギーの強い言葉だ。「有り難い」はずなのに、日常に蔓延っている。もちろん対面のコミュニケーションであれば、「ありがとう」の軽重は表現しやすいが、SNSではそうもいかない。成果に追われるSNS担当が、「ありがとう」に手を伸ばしたくなる誘惑に駆られるのは、必然としか言いようがない。
私は古いタイプの人間だ。話すのが苦手で会話が億劫なのに、対面のコミュニケーションに優るものはないと思っている。デジタルマーケティングが仕事なのに、「この人どんな人なんだろう」と思いながら顧客データを見ている。そして「ありがとう」は、自分のそばにいる時に直接伝えなければ、何の意味もないと思っている。誰かの共感を求めに行った時点で、それはビジネスだ。
私は福井光輝に「ありがとう」なんて言えない。どうして「行かないでくれ」って直接伝えられなかったんだろう。緑山を去ろうとする彼の足元に、齧り付いて離さないこともできたかもしれない。どうして日頃からもっと「ありがとう」「ずっと町田にいてくれ」って直接言えなかったんだろう。移籍の話を聞いてから、ずっとその後悔が自分を苛んでいる。
クラブへの忠誠心は、札束を積んでも生まれない。自分たちで長い時間をかけて育てるしかない。20代前後の若い男性が30人も集まる組織の中で、一番大切なのは「組織としての軸」だ。何を目指し、何を大切にし、そのためにどのように仕事に取り組まなければいけないか。うまく行かない時、何がその軸とずれているのか。福井光輝はそれらを俯瞰しながら、自分も周りも持ち上げていくことのできる人間だ。その人間性は金では買えない。
来季はリーグ戦、ACL、ルヴァン、天皇杯と4つものコンペティションに参加する。第2GKとはいえ出場機会は今年よりも増える。谷晃生だって、正直いつまで残るか分からない。何より、経験したことのない移動と過密日程の中で、チームとして立ち戻るべき原点を見失わない人間は誰よりも必要だ。クラブはそれに見合う本気の誠意を示せたのか。それでも行くのか。
私は全ての移籍に反対なわけではない。そもそも職場の選択は個人に委ねられるべきだし、チームで果たすべきミッションを果たしたのなら、快く次のステップを応援したい。プロサッカー選手としてこのクラブに居場所がないなら、他のチームでやり直すのももちろんありだ。渡り鳥のようにクラブに忠誠心を持たない選手には、そもそも関心がない。しかし、福井光輝はどれにも当てはまらない。少なくとも私はそう思っている。
だから私は福井光輝に、紋切り型の「ありがとう」なんて表明できない。憎らしいとかブーイングしてやるとか、そういうしょうもない次元の話ではない。ピンクの福井光輝なんて見たくないし、セレッソ戦には行かない。今からでもいいから帰ってきてほしい。「全部嘘でした!」と、いつものおちゃらけで言ってほしい。今度のゼルつくの企画、それでいいじゃないか。
どんな状況でもクラブのことを考え、クラブのために行動し続けてくれたコウキ。
— FC町田ゼルビア (@FcMachidaZelvia) December 28, 2024
8年間共に闘ってくれて本当にありがとう。
感謝の気持ちは、この後公式YouTubeでアップ予定の動画に全てを込めました。
あの方からコメントももらっています🤭… https://t.co/ZW6zQ5vwPj pic.twitter.com/s2MJLmysMy
FC町田ゼルビアの公式Twitterの投稿には、「あなたの決断を快く思わない人なんてゼルビアファミリーには誰ひとりといません。」(ママ)とある。
私は快く思わない。「ゼルビアファミリー」なんてお花畑みたいな仲間意識の中になんて、入れてもらわなくて結構だ。