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2018.7.11(J1最終節を前に)

6年半前、天皇杯3回戦で鹿島とやった。2回戦(岡山戦)を120分の激闘の末に勝ち切り、3年ぶりに掴んだJ1クラブへの挑戦権。その頃の町田はJ2でも上位争いの主役を演じていて、アップセットへの期待は否が応でも高まっていた。

結果は1-5。散々、という言葉では片付かないほどの惨敗だった。当時J2で猛威を振るっていたはずの超コンパクトなプレッシングは、正確無比なサイドチェンジで広げられ、捉えどころのない2列目・3列目のランニングでズタズタにされた。

前半から2失点。2点目の後の高原寿康の失望しきった顔は、今でも忘れることができない。ただでさえ小さいホームスタンドの声量はみるみる萎んでいく。「今年の俺ら、こんなんじゃ終わらないよ」と必死に声をかけたが、何ひとつ通用していないことは誰の目にも明らかだった。

そして終戦。絶望。たった一つしか変わらないカテゴリーの、どうしようもなく埋められない格差。周りに誰もいなかったら、膝から崩れ落ちていたかもしれない。それでもJ1を目指しているって、本当に自信をもって言えるのか、分からなくなった。

試合後、選手たちがやってきた。その時残っていたわずかな力で、みんなが口々に言葉を絞り出した。
「J1に行こう」「また鹿島とやろう」「今日のことを忘れないようにしよう」「俺たち、もっとやれるはずだ」…。たくさんの人が泣いていた。

その時の状況から言えば、どの言葉もただ選手を励ますだけの優しい嘘っぱちだったに違いない。練習場は小野路の人工芝だけで、J1ライセンスは下りるはずがなかった。スポンサーはどこもいっぱいいっぱいで、もう限界だった。スタッフだってあまりに少なかった。駅前でチラシを配っても、スタンドにはよくて5000人くらいしか集まらなかった。それでも口をついて出た、わずかな希望の言葉だった。

厳しい状況を乗り越えて、選手たちは必死に戦ってくれた。その年、FC町田ゼルビアは最終節までJ2優勝を争った。サイバーエージェントがやってきて、天然芝の練習場ができた。一方でたくさんの軋轢が生まれ、去っていった人たちもいる。今年だっていろんな問題があった。全てが思った通りではなかったかもしれないけど、今週末、僅かなJ1優勝の望みをかけて、また鹿島と戦う。

昌子はホーム最終戦のスピーチで、「今自分たちが持っているすべてを鹿島にぶつけたいと思います。最後まで応援よろしくお願い致します」と語った。

「自分たち」とは誰だろう。選手やスタッフだけではない。ゴール裏だけでもない。見ている場所も応援年数も関係ない。私やあなた、志半ばで去っていった仲間たち、全ての蒼き友が「自分たち」だ。

「持っているすべて」とは何だろう。選手の技術やモチベーションだけではない。サポーター一人ひとりが、いろんな気持ちをもってこのクラブに向き合ってきたはずだ。情熱や愛情、毎週のように味わってきた悲哀ややるせなさ、そして2018年7月11日に叫んだ「また鹿島とやろう」という言葉。絶望の中で必死に捻り出した、わずかな希望。

そういうぐちゃぐちゃした感情を濃縮しきって、ピッチにぶつける90分にしよう。そんなメッセージだと私は受け取っている。

叶うはずもなかったのに、たくさんの蒼き友のおかげでたどり着いてしまったラストステージ。昌子の言う通り、自分たちが持っているすべてを、鹿島にぶつけよう。サッカーの神様は、そういうバカで必死なヤツに案外コロッと落ちるものだ。

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