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スポーツ嫌い

これまでのnoteで散々書き散らした通り、私はサッカーが好きである。甥っ子の球蹴りからW杯まであらゆるものを観てきたし、まだまだ観たいと思っている。下手くそだが、プレーするのも好きだ。スポーツに関わる仕事もたまにしていて、幸せだと感じることもある。

その一方で本当に奇妙なのだが、サッカーやスポーツに対する強烈なアンチの気持ちも同居している。会社の人から「サッカーオタク」として扱われることを本気で嫌がっているし、経歴で体育会系だと思われたら即座に否定する。何でこうなったのか。

原体験は7歳。私はサッカーに夢中だった。しかし最初の大会、私の当時の親友はメンバーに選ばれ、私は選ばれなかった。運動神経のいい小学生は大抵モテる。まずはそこへのルサンチマンから始まった。よくある話だ。

それでも変な意地で、結局10年続けた。私はサッカーに引き続き夢中だったが、サッカーの神様は基本的に私に冷たい。怪我や病気でサッカーができなくなり、マネージャーになった。部の中で一番足が速く、一番声を出し、サッカーにのめり込んでいたが、所詮は蚊帳の外だった。

そんな中でちょっとした処方箋になっていたのが、特進クラスの体育の授業だった。基本的にみんな勉強しかしていないから、運動はできない。それでも賢いから、授業内で「なぜできないのか」「どうしたら上手くなるか」を必死に言語化しようとしていた。

何より授業中の試合は予備校対抗だ。私は通ってもいないのに駿台チームとして、バレーボールでは魔球「駿台サーブ」を編み出し、ソフトボールではバントを連発してコスい出塁をしまくった。アホらしいが、人生で一番楽しい授業だった。

結局サッカーが好きすぎた私は、スポーツ系の学部を選んだ。「県大会○位」なんて一切自慢にならない世界。右を見れば日本代表、左を見れば全国優勝メンバー。教授が代わる代わる出てきて、「スポーツの価値」を無批判に語る講義。私はあっという間に大学が嫌いになり、しばらく行かなくなった。おかげで卒業には苦労した。

それでも私をスポーツに繋ぎ止めてくれたのは、不思議なことに大学にいた「スポーツを批判的に見ている人たち」だった。そもそも興味がない人、体育会系のノリが嫌いで部活を辞めた人、好きだけど何らかの問題意識を持っている人。私は積極的に他の学部の授業を受け、「アンチスポーツ」とも呼ぶべきヘンテコなつながりを形成していった。

そして、その学部でなければ出会えなかった人たちもいた。日の丸を背負い、今もプロとして世界で活躍するアスリートもいる。彼らに共通していたのは特徴的なものの見方だ。私は無邪気に、彼らに走り方や水のかき方を聞いた。彼らは必死に、感覚的な言葉で伝えようとする。聞いたこともないような説明だが、身体にスッと入ってくるような言葉ばかり。あの経験はもうできないだろう。

私はトップアスリートへの見方を改めた。何かで頂点になる人間は、どこかが壊れていると言っていいほどに、突出した感覚や頭脳の持ち主なのだ。そしてその経験は、多分どこかに転用できる。

それでも、スポーツはまだ嫌いだ。ボールを蹴りたくなって個サルに行くと、あの「定期的にボールを蹴る人」だけが持っている特徴的な雰囲気で胸焼けがする。この間も会社のフットサル(レベルは高い)に行ったら、変な体育会系のノリと、仕事に対する近視眼的な愚痴と、いわゆる「普通の幸せ」を疑いなく追求する姿勢に卒倒しそうになった。

終了後、私はLINEのグループ通話で、いつもの仲間たちに愚痴と文句をひたすらまくし立てた。「よく分からないけどイキイキしててよかった」と言われた。受け止めてくれて本当に感謝している。

日本において、「する人」と「観る人」の距離はあまりに遠い。そしてどこか「する人」を優位に見る視点さえある。おかしな話だ。

愚痴と文句をまくし立てた後に、この動画を久しぶりに観た。「NO MUSIC, NO LIFE.」を生み出し、当時高校生の私に「大人になるのも意外と悪くないよ」と言ってくれた、CDの箭内道彦さん(この話はまたいずれ)。

アンチは愛なんですよ。

うん、多分そうです。気になってしょうがない。なんか理由はないけど気に食わない。常に、尽きせぬアンチと愛が同居している。トムとジェリーみたいなものだ。なかよくけんかしな。

こうして私は老害になっていくのかもしれない。いや、むしろ子供がえりしているのだろうか。まあ、フットボールの前では誰もが所詮お子様だし、私もメンタルだけは超絶ピュアな体育会系なのだ。残念ながら。

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