サッカーきちぃ(深津康太引退に寄せて)
1年前のちょうど今頃、J2優勝&J1昇格報告会をやった。町田の街中でやった華やかな方ではない。参加者2名(現地でもう2名)。開催地盛岡。深津康太にただ「J1上がったよ」というだけのツアーだ。
鍛えられていない都会育ちにはあまりに身に沁みる寒さだったが、最終戦の後ということもあってか、深津はいつもより長く話に付き合ってくれた。大半は取り留めもない立ち話だった気がするが、そんな会話の合間に「こんな遠くまで来てくれて嬉しいよ」「あの徳島戦のやつ、見て泣いちゃったよ」「みんなにもよろしくね」と、何度も言ってくれた。何となく、町田にいた時よりも丸くなったように感じた。
朝の小野路に響く甲高い声。セットプレーで真っ先に単騎突入するストロングヘッダー。そして定期的に(イエローカードの累積で)有給休暇を取るおじさん。前にはめっぽう強いが、横や後ろに振られるとめっぽう弱い、昔ながらのセンターバック。
正直うまくプレーした時よりも、相手に追いつけなくて振り切られたり、イエローをもらって困っている姿の方が記憶に残っている。成功よりも多くの失敗を重ねてきた、どう見ても不器用な背中だった。でもそれを一切隠さない潔さがあった。
忘れられないシーンがある。コロナ禍でアウェイサポーターの入場が禁じられていた2021年の金沢戦。4-0で制した後、ロッカールームに向かう深津が思わず漏らした言葉だ(38秒くらい)。
「マジきちぃ。サッカーきちぃ。」
この言葉に、深津康太という人間が持っている魅力が凝縮されている。この2021年と翌22年、深津は計70試合に出場し、他の誰よりもサッカーが上手くなっていた。当時37歳で、キャリアの最終盤に差し掛かっているはずの選手が、「きちぃ」と言いながら誰よりも闘っていた。
プロとして勝負し続けるため、昨夏に盛岡へと去った深津。今年も28試合に出場したが、最下位で苦しむチームの中で多くの失点に関わってしまった。引退試合となった福島戦の3失点目も、バックパスの処理にもたついた結果だった。見る人によっては残念なラストだったかもしれない。でも、ベンチに座って引退を迎えるくらいなら、戦い切ってボロボロになる最後を選んだ。そこに男としての生き様が光っていた。
FC町田ゼルビアの5番としてJ1の舞台を踏むことは叶わなかった。でも太陽光発電の営業をしながら小野路の硬い人工芝を踏んだ彼の呻吟の日々がなければ、今のゼルビアは影も形もない。この先クラブがどんなに大きくなっても、この事だけは忘れてはいけないと思っている。
そして深津の背中を見てきた選手やスタッフ、アカデミーの子どもたちが、ゼルビアにはまだ残っている。「サッカーきちぃ」とぼやきながらも闘うことにこだわり続けたその矜持を、一人ひとりが受け継いでいってこそ、このクラブのアイデンティティは出来上がっていくはずだ。
ありがとう、深津康太。あなたが町田の5番で本当に幸せでした。次なる人生も、心から応援しています。