仕事について
ロバート・ベラーは『心の習慣』で、仕事をjob ,career ,callingの三つに分類し、それぞれの役割を説いた。
それによると、「job(職)で示される仕事は金銭を稼いで生活を維持するための手段であり、経済的成功や生活の保障という側面から自己を理解すること」につながり、
「career(経歴)で示される仕事は功績や昇進によって前進していく生涯の経過を示すものであり、地位、権力、能力の拡大といった成功という側面から自己を理解すること」につながり、
「calling(召命)で示される仕事は、その人の活動と生活に具体的理想を与えるもの」だとされている。
つまり、働くことによって生活が保障されると同時に、仕事での成功体験によって、あるいは職業倫理の獲得によって心が耕され、充実した日々を送ることができるようになるものと考えられる。
続いて、アウグスティヌスは労働の徳とは「①自給自足でき他者に負担をかけないこと、 ②怠惰を防ぐこと、③キリストおよびパウロに倣うこと、 ④肉体をむち打つこと、⑤謙遜と質素を手にすること、 ⑥従順と服従の実行、⑦貧者を助けられること、⑧自己 規律を身につけること、⑨罪の贖いをすること、⑩平等を体験すること」と説いた。
この特性が人間性の拡充、すなわち心を耕すこと(=セルフカルティベート)につながるのである。
トマス・アクィナスは、肉体労働について説いた。それによると、肉体労働の目的とは、「①生活の質の獲得、②無為の排除、③情欲の抑制、④施与」である。
ここまで3人の知見を見てきたが、3人に共通して、働くことにより賃金を得て一定の生活を確保することができ、またその仕事を通じて心を耕すことができ、それによって豊かな生活を送ることができるとしている。
私にとっての自己陶冶は、綺麗な心を持ち続けることだ。傷ついたり汚されたりしても、そのたびに修復して丈夫な心をもって生き続けたい。そこに自分の生の意義があると思う。あるいは、誰かのこころに触れる経験をして、その誰かが自分を覚えてくれていたら、それが自分の生きた証拠になるのではないかとも思っている。
今後は、おそらく大勢の大学生と同じように4年生で大学を卒業して就職すると思う。具体的な職種はまだ定まっていないが、どのような職種・職場でも社会の荒波に飲まれて心をすり減らすのだと思う。
それでも、傷ついた自分に気づいてそのたびに修復して、いつも丈夫で綺麗な心を持っていたいと願う。社会性を持ち、他人に振り回されず、自分の軸をしっかり持つ、自尊心の高い人でいたい。
先生が仰った「プライドを持ったふるまいをする」ことは、私にとっては「自分の心を自分で汚さないこと」だと思う。
そのためには、ニューマンが言ったように歴史、道徳哲学、詩などの芸術を学ぶ必要があると思う。今まで自分が傷つくのではないかと怖くて避けてきた戦争や虐殺の凄惨な歴史も学び、人間として深くなりたい。そして、自己陶冶を生きている間、絶えず続けたいと思う。
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