2025年2月11日松竹座 昼 3階3等5千円 立春歌舞伎「十種香」「封印切」「幸助餅」

 2月11日祝日の昼夜三等、三階からの感想。花道は見えず。客席は、この座組としてよく入っているように見受けられた。

 

【 「十種香」、孤立する三空間 】

 「十種香」。三つの空間が並立する。大名の箱入り美姫、美しい未亡人、才気あふれる美男子。三つの空間は襖が開かれて一つの空間になるはず。しかし、観た日の芝居は溶け合わない。ベテランの扇雀さんの八重垣姫、若手ながら主役も多い壱太郎さんの濡衣、フレッシュな虎之介さんの花作り蓑作の勝頼と舞台経験の違う三人が、それぞれ間違ったことはせず、かっちりとした芝居をする。それらしく美しく見える空間を作る。一人一人は正解。なるほど、この役はこう動き、こう話すのかとよくわかるが、三人の間の芝居の受渡しに妙が無い。三役間の寄り添いと暖かみは、凍る諏訪湖を融かす恋と義の情熱までは望めず、狐火程度と感じた。

 八重垣姫は、登場しての後姿に印象はないが、振り向いてから精彩あり。脇息で芝居をせず、すぐに縁側に前に出てくるのが得で、屋台の中より照明が良く当たり、白い顔と赤い打掛が映える。久しぶりの若い役のためか、時々発声に苦みが出るが、三階席から観て姿に若々しさがあり、きっちりとした動き。

 濡衣は最初の傷心を印象付けられないが、こちらも声、姿に間違いはない。三人の中で他の二役に働きかける役で、如才なく役によくはまる。ただ、二人に仕えるという心持ちが見えない。押しつけがましい濡衣になった。

 勝頼は、若く美しさは堪能できた。歌舞伎座ほど広くない舞台で、中央から両端の二人の間に隙間ができたのは経験年数で仕方ない。最初の片足の長袴を投げ出した姿が美しくないのが目についたが、勝頼としてきっちりと務めている。

 鴈治郎さんの謙信、精四郎さんの原小文治、團子さんの白須賀六郎と場面がスペクタクルになると空間も一つになるように感じた。

 

【 演じ甲斐を聴く「封印切」 】

 獅童さんの忠兵衛は、やはり動きに面白みなく、「河庄」の子持ちの治兵衛と違って独身の若旦那、声がもう一段高くあって欲しい。しかし、それを上回る出来があった。台詞の正確さが見事、聴きごたえがある。東京の話者が良くここまでと、その努力に頭が下がる。聴くまでは、何故上方和事をと思ったが、演じた甲斐がある。耳を楽しませる。眼目の封印切りは押されたはずみで封が切れる型だが、そこからの頭に血が上って破れかぶれの激情と封を切った後の散財の足の地につかない感覚はさらに十年後を観たい。最初の百両で小判をさらさらと落とし、三百両で、立ち見で懐から盛大に小判をもう一度まき散らす。二度やるのは損な気がする。

 壱太郎さんが綺麗に若く、忠兵衛につき従って芝居をしている。気が回る頭の良さが前面に見えて哀れが薄くなった。

 扇雀さんのおえんは、私が観た日は高級な茶屋を気取っているのか、つんとして機嫌が悪い。これが、中車さんの槌屋治右衛門、店の中居達まで伝染して皆愛想が悪く、嫌な店である。治右衛門の借金もなるほど、この店なら客が寄り付かないからかと思ってしまう。

 治右衛門は、「男治右衛門」と竹本が語るには、愛嬌、余裕なく貧相に見える。八右衛門の鴈治郎さんと替わったのも観たいが、この人の五年後、心に恰幅のある治右衛門を観たくもある。

 今回の仇役八右衛門、この役はもちろん品と愛嬌も必要だが、もう少し関西で言う「えげつなさ」がスパイスとして効かしてほしい。すっきりとしすぎて、「ねちっこい」妬みの炎がない。忠兵衛の悪口を言いふらすのに、後ろをしきりに振り返って台詞を言うのも気が散る。忠兵衛との言い争いも「見せる」意識が強く、観客に八右衛門の言い分を「語る」、語り聞かせて得心させる意識に欠ける。忠兵衛、八右衛門も舞台上の相手役に向かう意識が強く、客へ向かう意識が弱く感じる。観客と更に相対した「封印切」を期待したい。

 

【 「幸助餅」愚の面白さ、和事の系譜 】

 「封印切」の系譜を受け継ぐ一遍。恋情に溺れ我を忘れた愚の面白さを楽しむ芝居。推し活が、ちまたあふれる現在の和事。

昼夜の部で、このお芝居が一般的には金を払って観るに値する幕となった。三場のうち最初の場が見もの。

鴈治郎さんの幸助が、贔屓の相撲取りに肩入れしていく気持ち、あふれる「好き」の気持ちをどんどん水位を上げて語っていく。思いがあふれて舞台空間へ流れ出す。上方和事の「語る」芸である。金がなくて困っている状況で相撲取りに大金を渡しそうになるのを観客のハラハラ見守る中、推しに会った嬉しさ、気持ちが高まり高まり、頂点になって金を渡してしまう。松竹新喜劇一流の「封印切」。前の幕を、形を変えて見せることになった。十分に語れなかった八右衛門が存分に語った。

寿治郎さんの叔父が世の非情を嘆くのも心に響く。青虎さんの幸助女房が空気を締める。

 中車さんの関取雷(いかずち)に恰幅があり、非情な敵役は得意なところで、現実味で芝居を進める。

 盛り上がった一場に比べ、二場、大詰めとペースは落ちる。二場は二、三年後の幸助餅の店先。繁盛して幸福感あふれる場面で始まり、関取雷を憎む幸助と、近所の大の雷贔屓の口論、これはまだ面白く見せるまでには至っていない。続いて、雷が来店してのやり取り。ここのやりとりも水っぽくなってしまった。幸助はこれまで自分や妻、妹の辛苦への哀感と、憎い雷でも客として餅を出さねばならない悔しさ、雷は底を割らない程度に幸助への情を出す場面だが、私が観た日は両人見せ場にするもう一工夫欲しい。

 最後は、笑三郎さんの女将が内幕を情あふれる語りで場を盛り上げる。面白く一幕を観終わった。

しかし、ここも主役二人、もう一段熱量を上げて盛り上げてほしいところ。幸助は雷の真情を知って驚愕、感激にむせび泣き、雷は憎まれ役に徹して隠してきた思いのたけを吐き出すのをそれぞれの芸で見せる場面。

 松竹新喜劇の藤山寛美さんなら、驚きから笑いになるなら、「えー」と高い声で驚き、何か言いかけて言葉にしようとしてできないもどかしさを面白く見せ、この場のように驚きから泣きになるなら、低い声で驚き、怒ったかのような表情と声で言葉に詰まりながら問いただすうちに涙声になっていく様子で客を引き込む。何かそのような勝利の方程式が欲しい。歌舞伎なのでやや品の良い芝居になるのは当然だが、上方和事であり、自由闊達に動いているように見える芸が観たい。

 とはいえ、「封印切」が腹持ちのいい天ぷらなら、こちらはさらさら、さっぱりとあと口の良いお茶漬け。気持ちよく幕は下りた。

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