私がヒトカラを好む理由

英語を聞き取れる・ある程度わかるようになった頃から、日本の音楽に興味をなくしてしまった。
高校生ぐらいから洋楽に傾倒してしまった。
英語が正しい人たちしか好きになれなくなったというか。

日本人は、東南アジアの歌手がサビにいきなり日本語歌ってるのとか聞くとちょっとうれしいんだけどね、日本語に親しみを感じてくれてるんだな、と思って。

でもアメリカ人というか、私がアメリカの音楽番組ばかり見ていたからなんだけど、アメリカ人はかなり「なんで日本の歌ってサビにいきなり英語出てきて、しかもわざと?ってぐらい下手に歌うの?」と言ってた。かーなーりー言ってた。もうほんまに頭から馬鹿にしていた。まあ、私も一緒になって馬鹿にしてました、サーセンw

誰とは言わんが、もうほんっま恥ずかしい英語しか歌ってないやん、ってのもいるやん。カラオケでも「曲止めるぞ!!」とか思うよねー、そういう歌詞って。カタカナのフリガナ付き字幕で見るとなお悲惨。←そう、ここがヒトカラばかりになってしまってる理由

昔からハードロックやヘビメタが好きなもんで、アメリカでもヨーロッパでもロッカーが好きな日本音楽は「荒城の月」というのが子供心にめちゃヒットした記憶。私が人生で初めてちゃんと歌った歌は荒城の月なのだ。父が好きだったから。
で、荒城の月を「Japanese Folk Song」という名前で歌ってる人たちもいたりして、ほんでなんでかあちらの人は「花の宴」の「え」を#つけてしまうのよね。
滝廉太郎は#つけて作ったんだけど、その後山田耕筰が#を取って、その理由として#つけてたらハンガリー舞曲みたいじゃん!って言ってたらしいんだけど、例えば荒城の月をしょっちゅうライブで演奏するスコーピオンズなんかはドイツ歌手だもんで、ハンガリー近いよなーやっぱりナチュラルに#つけるのかーとか思ったりして。
音楽に国境はないのだ。でも、他所の国の言葉を使うのなら、ちゃんと使おう。かっこいいと思って使うのならなおさらだ!!

そしてちょっと謎に思ってること。

黒人音楽というカテゴリだったジャズをアメリカの白人社会よりも日本のほうが先に受け入れてくれて、日本ツアーは「まるで王様のように扱ってくれた」と歌手だけではなくスタッフまでが吹聴したことで、いい印象を持ってくれている人がいたらしい。
高校生の頃、ショパンのエチュードを楽譜の逆から弾くという特技を持ってるニューヨーク出身のアフリカ系ジャズピアニストさんから聞いた話。
ものすごく温厚なおじさんで、限られた時間の中でいろいろ教えてくれた。

イギリスドラマなんかでも、ジャズを聞く=趣味が悪い、そんな下品な音楽やめなさい、みたいなシーンが繰り返し出てくるんだけど、まあそういう時代というか、白人社会だったんでしょうね。
日本人はそういう意味では、白人でも黒人でも「外人」だったらいいみたいなところがあったんだろうな、その頃。それがいいか悪いかはともかく、ジャズ界に日本人が自然に受け入れられたのは、そういう理由があるそうです。

で、なんでこんなにツラツラ書いたかというと、ジャズの歌曲って、まず日本語のものが少ないというのもあると思うけど、日本人歌手であってもちゃんとした発音を心がけてるように思うんですよ。
まあ私が知ってるジャズなんてたかが知れてるけども、それでも。

この差は、なぜ?

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