お便りをいただきました:毒子と言われました

メールをいただきました。編集済みのものを掲載します(掲載許可ありがとうございます)。

私は大学から東京に住んでいます。実家までは、新幹線で1時間、在来線で1時間の距離です。
両親とも高卒ですが、母親は大学に行きたかったけれど学力が足りなかったようで、大卒者に嫉妬していた反面、自分の娘は何が何でも大学に、という考えでした。

しかしいざ実際に私が大学生になると、親不孝だと言い出しました…理由は、家から通える大学でないから。
家から通える大学(国立大学です)は、私の頭脳には難しすぎたのです。そのまま東京で就職したのですが、それもまた母親の怒りを買いました。要するに、「私の女中にしてやろうと思ったのになぜ逃げた」という意味です。
地元の友人が結婚した、子供ができたという度に、お前は出来損ないだと電話がかかってきます。
父親はその都度母親を諌めたり叱りつけたりしてくれましたが、全く馬耳東風でした。

その父親が去年末亡くなり、母親もさすがに落ち込み、お前だけが頼りだ、今まですまなかったなどと気弱に泣くので、私もその時は全て許そう、水に流そうと思っていました。
しかし、その後しばらくしたらケロリと元通り…忙しい仕事に疲れて帰宅したら、ヒステリックな「結婚しろ、孫を見せろ、掃除をしに来い」などと怒鳴りつける母親からの電話。
もううんざりでした。

父親の初盆の法事に帰省すると、おもむろに中学校の卒業アルバムを持ちだし、○○ちゃんは結婚して自分の両親と同居している、△△ちゃんはできちゃった婚だけど相手が金持ちの家でよくやった、☆☆ちゃんは・・・と、他の親戚や近所の人もいる前でギャーギャー騒ぎ始めました。
母親の兄弟が強く「黙れ」といっても黙らず、お前は親不孝だ、私のために何もしてくれない、こんな娘に育てた覚えはないなどなど、罵りまくっているという感じでした。
もうすっかり嫌気が差し、もう二度と帰省しないようにしようかと思った瞬間に、「お前みたいなのを毒子と言うんだ」と親戚の、事情を何も知らない酔っぱらいジジイが言いました。母親は図に乗って「ドクコ、ドクコ」と連呼。

なんであの時、許してしまったんだろう。
もしあの時「私はお母さんを決して許さない、だから勝手にして」と言えていたら…

その日のうちに帰宅し、母親や親戚の電話番号をすべてブロックしました。
電話が通じないとわかったら、今度ははがきをよこすようになりました。まだ年末には間があるにもかかわらず、早く帰ってきて大掃除をしろ、近所へのあいさつ回りもあるんだから先に宅急便で土産物を送ってこい、などなど。
今のところすべて無視していますし、年末年始は友達と海外にでも行くつもりです。本当に何もかも嫌になりました。
毒親本には「対決しろ」等と書いてあるものもありますが、私はフェイドアウトしたいのです。

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