愛おしい傘
帰路の電車の窓から差す光が眩しい、冬の始まりの薄ら寒くなってくる時間。
空は空気が澄んでいて青々と広がり、京王線の窓から見える河川敷では子供たちがサッカーをしているような良いお天気である。
次の駅で、スーツを着たサラリーマンが乗ってきた。
その右手には傘を持っている。
電車内を見渡すと、ほとんどの人は傘を持っていない。
そう、今日は朝の7時ころまで激しい雨の予定で、午後からはカンカン照り照りの晴れの予定だったのだ。
河川敷の子供たちも、足元は湿った泥でヌチャヌチャして足元を掬われているに違いない。
余談だが、中高生の頃、校庭に雪が積もった中で走ると、校庭の地質が悪くなるから、長距離走が中止になってすごく嬉しかった。
夜が近づき、役不足になってしまった長くて濃ゆい鼠色の傘を足の間に挟んで、ウトウトしている向こう側に座っているサラリーマンを見て、なぜだか愛おしい気持ちになった。
「奥さんに持たされたのかな?」「自分で天気予報を見て傘を持って行ったのかな?」「几帳面な人なのかな?」
色んな事を想像して、フフフ、と、バカにするわけではなく、その人の朝の光景を勝手に想像してほほえましい気持ちになった。
朝早くの雨が降っている時間から出社してたんですね、お疲れ様。
どこの誰かも知らないが、偶然にも電車で居合わせた人。
わたしの手にも、傘がある。
同じ朝のラッシュを潜り抜け、傘によって湿度200%くらいになった通勤電車思い出す。クルクルになった前髪は戦の証。前のサラリーマンに、なぜか戦友のような気持ちが生まれる。朝の電車、大変でしたよね。
通勤だけで気が滅入る朝の様子を思い出し、「今日もお疲れ様でした」
と、自分にも声をかける。
乗り合わせたサラリーマンが寝息を立てだした頃、わたしの最寄りの駅に着いた。
最寄りの駅についても、傘をに手にしている人はまばらだった。
この傘は、朝早くから出勤した勲章の剣でもあるのかもしれない。
いつもはシャワーだけど、今日はゆっくり湯船につかろう。
しばらく入れてなかった1個500円するバスボムも入れてみよう。ちょっと高いクラフトビールもあけちゃえ。ごはんはコンビニのおつまみでいいね。
いつもは躊躇う299円のスイーツも買っちゃえ。
あの朝のラッシュの電車を潜り抜けるには、それ相応の自分への飴が必要なのだ。
冬晴れの紫色に染まった空を見て、クタクタになった体に鞭を打ち、家までの道を歩いた。
どうか、あのサラリーマンが寝過ごしていませんように。
足の間に挟んだ傘が倒れて、目が覚めていることを、祈った。