
朝焼けにストロング
終電の気配を感じ始める23時半頃。
分かっている、このテンションのまま終電を逃しても、楽しいのは1時、よくて2時までなのだ。
分かってはいつつも盛り上がるカラオケから離れられず、理性と本能が金の斧銀の斧みたいに戦っている。そして終電が通り過ぎるのを頭の中で感じる。
そして絶望の3時、4時が来るのだ。こんなことを大学生の時何回繰り返しただろう。
…と思ったけれど、大学生の頃はこの経験をしたのは多分2.3回だと思う。
なぜならオールするほど一緒にいて楽しい友達が大学にはいなかったからだ。
↓こちらは大学生コンプレックスについて書き綴った3年前の私(3年経って、30過ぎても全く同じことを考えている)。
そう、去年わたしは30歳となったのだ。
30歳といえば、母が私をこの世に産み落とした年齢と同い年である。
周りの友達と言えば、6.7割くらいが結婚していて、(といっても、世間に比べたら結婚している友達が少ない方な気がする)2.3割くらいに子供がいる。
=朝まではしゃいで遊ぶ機会など…
あるのだ。
なんなら増えたような気さえする。
「この年になって終電超えてまで遊ぶ友達がいるなんて幸せなことだナァ」としみじみ思うし、友達とのラインに「今月は会えなかったね😢」なんて送ったりする。
逆にいうと学生時代は、こんなことなかったように感じるのだ。それに、学生時代に友達と、惰性で朝まで遊んできた時より数倍楽しい。
この数年間で、学生時代の友達がふるいにかけられたような気もする。そしてまた、私も誰かのふるいにかけられていたのだろう。
もちろんこれは悪いことではない、と思う。ライフステージの変化によって、その時付き合う人というのは変わっていくものだ。少し寂しいけども。
というわけで(突然まとめる)
今でも私と仲良くしてくれている友達=朝まではしゃげる少数精鋭のマイホーミーなのだ(極論)
先日、中学時代の友達と都内で朝まで飲んだ。
朝の6時に私の家に帰ってきて、「飲み直そう」と言って朝の7時にストロングと日本酒を飲んで昼まで寝て、ブランチを作って、浅草から歩いて上野のアメ横に繰り出して迎え酒をするという、まさに「大学生時代に、付き合ってくれないけど片想いの沼男とやりたかったやつ」を女友達とやった。
また大学生コンプレックスが勝手に増えた。
↓いつも楽しい彼女との1日である。
「うちら今寝不足で免疫力絶対ないから牡蠣当たらないといいね~」
なんて、不吉なことを言いながら生牡蠣をむさぼりくったアメ横は、梅雨の終わりと夏の始まりが溶けたような日だった。
じめっとしていて、なんだかわからないけど友達の予言が当たりそうな雰囲気を醸し出していて脂汗が滲む。
「きっとさあ10年後、あんな日あったよね~って言えるような良い一日だよね」
と、薄暗くなってきたアメ横の風を感じながら、友人は2杯目のビールを飲みつつ言った。
ちなみにわたしは朝飲んだストロングが残っていてあんまり飲めなかった。(朝飲んだストロングってなんなんだ)(水と油くらい交わらない世界線だ)
「ウ、ウン!( ;∀;)そうだねそうだね!( ;∀;)」
思いもよらぬ嬉しい友人の言葉に、私は赤べこになったように激しく頷いた。ちなみに赤べこは激しく頷かない。
こういうことを口に出して言える友達は大切にした方が良いと、誰か偉い人も国際的なサミットで言っているに違いない。
大人になってからの友達は、ある意味学生時代の友達よりも大切なのかもしれない。
6月の下旬、ほとんど夏が侵食している空気をまとう空に、今年の夏も楽しくなりそうな気配を感じた。
ちなみに、牡蠣はあたらなかった。
おしまい