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あざとく生きよ


昔、バレエの先生が言ってた。

どんなに華やかに踊っていようと

どんなに感情豊かに表現していようと

頭の中は常に冷静でいなさい、と。



そして、大人になってその言葉の大切さがわかってきた。


壮大な音楽がなっていようと

伸びやかな振り付けであろうと

心はアンドロイドのように冷たく

「冷静」を超えて、「冷淡」な状態で踊ると

いい感じに踊れる。


何も信じず

何にも心動かされず

何にも浸らず

かといって悲観しているわけでもない。

ただ、無機物のような

金属の心。



踊りに移入しない

体にも移入しない

音楽にも移入しない。



それは常に、冷めているということ。

冷めているとは、覚めているということ。



喜びにも移入しない

高揚感にも移入しない

ドラマ性にも移入しない。


それは私のためにあるものではない。

観客のために用意されたものでなければいけない。


それを味わいたいのではない、

私はそれを創り出すものになりたい。

与えるものになりたい。

ならば、必要なのは

より一層、冷めて(覚めて)いること。



観客が酔いしれれば酔いしれるほど

私はどんどん覚めていく。


より合理的に、より計算高く音楽を使い

より効率的に、より戦略的に体を動かす。


なんだか、騙している感じ

欺いている感じ



えーっと、なんだっけ?

こういう状態、なんていうんだっけ?

と思って「あざとい」という言葉が浮かんだ。


ああ、ぴったりだ。


バレリーナは、もしかしたらアーティストという生き物は、

とてもあざといのかもしれない。



もっともっと冷静に

もっともっと覚めた心で

あざとく生きたいと思った。













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