
「やりきらない」と「やりたいことをしてはダメ」という呪い【とあるエッセイ #04】
「あなた(わたし)は何がしたいのか?」
あらゆる不確実性が高まる時代の流れのなかで、個人のWillや自己実現を求められる度合いがどんどん増してきている。
「自分のできることや、スゴさがわからない」
「自分のやりたいこと、Willがわからない」
そんな相談を友人からもよく受ける。そんな相談に「こうしたほうがいい」とアドバイスすることは容易なのに、一方で、自分に対しては自信が持てない。
自分には何ができるんだろうと考え始めると、すぐに自信がなくなってしまう。
自信がないから、自分に対する意思決定のスピードが遅いのだと思っていた。決断に時間がかかり、思い切って行動できない。
わたしはそんなことをぐるぐる考えてしまうけれど、周りの人たちはどうしてあんなにWillを次々と決められるんだろう。私にはそんな能力がないのかと、また自信を失ってしまう。
しかし、この前、受けていたコーチングの対話の中で、新しい発見があった。
そもそも自信がないわけではなく、「やりきれるのか」の疑いが恐怖となり、不安につながっていたのだった。
知らず知らずに自分に「呪い」をかけていたことに気づいたのだ。
これは幼少期の育った環境が大きく影響しているように思える。
小さい頃から私は好奇心旺盛で、いろいろなことに興味を持つ子どもだった。「あれもやってみたい、これも面白そう」と目移りしていた。それに対して母は不安だったのだろう。
「それってなんでやりたいの?本当にできるの?」とよく聞かれたのを覚えている。
そんな言葉が心に残り、無意識のうちに「ちゃんとした理由がなければやってはいけない」と思い込んでいたのかもしれない。
その呪いの言葉によって、やりきるための基準を自ら勝手に高くしていた。
そして、その期待値を無意識のうちにどんどん引き上げ、「このレベルまで、できなければ意味がない」と感じてしまい、急にブレーキをかけていたのだ。

実際に自分がやってきたことをファクトベースで振り返ってみると、失敗することをそんなに恐れる必要はない。今までできてきたことはたくさんあるのだから、やってみたいことをやるだけで良いのである。
それに気づいた瞬間、自分を縛る「呪い」の存在を明確に感じたのである。
理想像を描くことは大事だが、最初の一歩はあくまで一歩だ。
たとえ完璧にやり遂げられなくても、始めたという事実が自分にとっての財産になる。
その「やってみたい」という気持ちを大切にすれば、Willへの欲求が湧いてくるのではないか。Willのタネを自ら押し込めてしまっていないか。
タネを育てるための衝動を、自分で破壊せずに、大切にしていきたい。
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