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広がりすぎたデザインを自分の「言葉」で語るには 〜Designship2024に寄せて

※ わたし自身はDesignshipのコアメンバーではありますが、公式の発信ではなく、個人の見解です!

今年も無事にDesignship2024が閉幕いたしました!
今回のイベントに参加してくださったみなさま、ご協力くださったスポンサーや登壇者のみなさま、そして、ともに汗水を流した運営スタッフのみなさん、本当にありがとうございました!

さて、柄にもなく、終わったあとにこのよう形で筆を取っているのには理由があります。
Designship2024で掲げた「広がりすぎたデザインを接続する」というテーマについてひとつの光が見えたこと、そして私のなかの気付きを残したいと思ったからです。

少し遡った話をします。
思い返せば、Designshipが始まったのは2018年。よくよく考えると、私は初回から1日もかかさず毎回参加しています。
2018年はスポンサーブースのスタッフとして、そして2019年からは毎年運営スタッフとして会場に足を運んでいました。

2018年頃の当時の課題意識として、デザイン分野同士での線引きが濃いという時代背景がありました。〇〇デザイナー同士の敷居が高く、それぞれの領域における矜持が強く存在していました。
ひとつの枠に収まることで、デザインそのものが矮小化されているのではないか?
デザインはもっと多様で、デザイナーももっとさまざまな価値を発揮できるはず…そんな課題意識を個人としても強く感じていました。

だからこそ、「物語の力で「デザイン」の壁を越える」というテーマに強く惹かれていました。

私は大学時代にビジュアルコミュニケーション、いわゆるグラフィックの領域を専攻し、その後、社会人としてIT・デジタルの領域に飛び込みました。越境した当事者として、この「壁」を強く感じていたので、変えていきたいという思いでデザインシップに参加しました。

そんな想いを胸に、毎年のように忙しくも熱量を持って規模を拡大して開催していた矢先に、コロナがやってきました。
コロナ下で続けるというのは、非常に困難な選択だったと思います。そもそも、リアルな熱量を感じにくく、何のためにやっているのか説明がつきづらい感覚がありました。それでも、運営メンバーの誰かが諦めないのであれば、続けようという気概が全員にありました。もはや「執念」としか言えません。コロナでやめていたら、Designshipという場は途絶えていたでしょう。だからこそ、執念で続けていたのです。

コロナの影響で予定変更や予算、感染対策など、さまざまな事情で、東京湾の端の広い工場を配信会場としてオンライン開催したこともありました。
20人ほど乗れる業務用エレベーターで、著名なデザイナーの方々を案内していたときは、申し訳なさも感じていましたが、それでも続けていました。

そして、コロナが落ち着き、ハイブリッド形式に戻ったDesignshipは、新たなメッセージとして「広がりすぎたデザイン」を掲げています。
執念で粘り続けて見えてきたのは、世の中で扱われるデザインの価値が変容しているということです。
どこかに収まってデザインを語ることは、もはや古い考え方であり、壁は透明になり、逆にどこまでも広がっているとも言えます。それは、デザイナー自身が困惑するほど広がりすぎているのです。

だからこそ、私たちには「物語」が必要なのです。

物語は、デザインシップが初年度から大切にしているものです。
他では聞けない、その人の物語、その人の言葉でその場で語るからこそ意味のある物語。運営側が提供する画一的な主張や答え、解釈はありません。
多面的な場として設計されており、それを通して自分の物語に立ち戻ってもらいたいという想いが込められています。

逆に言うと、これを聞いたからといって、すぐにデザインができるようになるというわけではありません。それぞれの多様な物語を聞いて、どのように意味づけするかが重要です。

「広がりすぎたデザイン」について、私は悪い方向に進んでいるとは思っていません。
むしろ、それは希望であると思います。デザインというものが、周りからも、デザイナー自身からも窮屈に捉えられていた無言の圧力から解放されつつあるという希望です。

とはいえ、「どうなるかわからない」「自分が何者なのかわからない」という漠然とした不安を抱える気持ちもわかります。だからこそ、物語を聞いたうえで、自分自身の物語を紡いでいってほしい。そのような願いを込めて、多くの物語が語られ、そして新たに生まれる場を作っています。

そんな中で、より今年は「行為としてのデザイン」が「価値観としてのデザイン」に変わってきているように感じました。
〇〇デザインというどこかのデザインの枠に収まるのではなく、混じり合いながら、多様な活動をデザインというレンズを通して社会へアウトカムを生み出していく…そんな語りが多かったように思います。


一方で、別の懸念としては「それで、何をすればいいか分からん」という路頭に迷ってしまうのではないか?
広大に広がる「デザイン」の可能性に呆然と立ち尽くしてしまわないか?そんなことも感じています。

「自分の言葉で語れって言われても、近くにキャリアの見本もない中で、そもそも自分がどこに向かえばいいかわからん!」
そんな不安な言葉が聞こえてくるような気がして、ひとつワークシートをつくってみました。

<自分の価値観を整理するワークシート>
3つの構成になっています
・アイデンティティ:なにを軸として
・行為:どんな経験や実践を通して
・ビジョン:どこを目指すのか(成し遂げたいのか)

これは、自分の現在地を俯瞰してみるためのものです。
何を軸として何を為したいのか?その過程として、〇〇デザインだったり、デザインを越境した行為が現れてくる…そんな絵が見えてくると、今取り組んでいることが意味付けがされていくのではないでしょうか?

軸は「デザイン」にしてもいいと思います。視点としてのデザインで見てみると、今の行為はどう映るでしょうか?
逆に行為をデザインとしてみるとどうでしょう?「デザイン」という言葉ではないものが自分の軸になっているかもしれません。

行為の部分の時間軸は2〜3年目安だと書きやすいかと思います。
現在とりくんでいるものも、これから取り組みたいものも混ぜてしまってよいです。イメージができる範囲で書き出してみましょう。

一番右側の目指すビジョンは時間軸は長くてもいいです。
自分は5〜10年くらいのイメージを持って書いていますが、掴みやすい抽象度の未来でいいと思います。

ちなみに私が書いてみたらこんな感じになりました。

定期的にアップデートしてみると、自分自身の振り返りにもなると思います。
また、ひとりで埋めるのが難しければ、数人で話しながらやってみると意外と言葉がでてくるかもしれません。できたものを酒の肴にしてみると、相手の意外な一面が見えてくるかもしれません。

こうやって、自分にとっての「デザイン」がどんな意味を持っているのか?それを言葉にしていくことで、「わたしにとってのデザイン」の意味が見えてくるのでは、と思っています。
言葉にしづらさ、を感じているときのひとつの参考になれば嬉しい限りです。

miroでテンプレート公開しましたので、ぜひやってみてくださいね〜👋


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Tajima Kaho
読んでいただきありがとうございます。Twitterは @tajima_kaho でやってます。