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私は親友を愛していた。

親友が結婚した。
正確には、結婚式を挙げた。入籍したのはだいぶ前だ。

彼女と知り合ったのは私が大学に入ってすぐの頃で
同じサークルで、親しくなった。

彼女は学年で、やや浮いていた私に
何も気にせず話しかけてくれた。

いつも優しくて、隣にいてくれて、
私がどんなにバカなことをしても側で笑ってくれていた。

彼女を怒らせたことが3回ある。

1回目は私が同期の女の子に攻撃的な態度をとった時。
当時付き合っていた彼氏と同期の女の子が二人でコソコソ出かけたりしていたのを私は許せなくて、攻撃的な態度をとった時に
「自分が傷付いたからと言って人を傷付ける理由にはならない」
と、怒られた。

2回目はサークルの後輩の失敗を安易に受け入れた時。
「色んな人の想いが絡んでいる中、大きな声でその気持ちを蔑ろにしてはいけない」
と、怒られた。

3回目は彼女の恋人と喧嘩して私が我を失った時。
「私が好きな人同士が傷つけ合うのは見たくない」と、怒りながら泣かれた。


親友は、そういう当たり前のことを
きちんと本気で腐らず出来る子だ。

一緒にルームシェアしていたこともあったけれど、私の不健康な毎日には口を挟むことはなく、だけど心配はしてくれて、彼女は決して、彼を裏切ることもしなかった。

私は確かに、彼女を愛していた。


愛していた、というと、途端に想いが希薄になって気味が悪く感じるのは私がそもそも、人間の“好意”に対して一定、嫌悪感があるからだと思う。
彼女への気持ちをそんなに短絡的に表現したくない。


彼女は賢く、優しく、温かかった。


私は大学の中でも貧しくて、いつも貧乏イジリされていた。それ自体が嫌だったことはないけれど、「みんなは恵まれているなあ」と感じた回数は恐らく多い方だと思う。彼女も例に漏れず、恵まれている側の子だったはずだけど、私は彼女に対して、それを感じたことは一度もない。
恐らく気にかけることなく、そういう振る舞いが出来る子なんだと思う。

私は大学時代、よく、「色目を使っている女」として扱われた。
いま振り返っても、正直モテてはいたと思うし、否定するつもりもなかったので、何も気にせず、そのいじりや揶揄いに乗っかっていた。

彼女は決して私を見下さなかった。
もちろん私を羨んだりすることもなかった。


あの頃、大袈裟な表現ゼロで
彼女だけが私を人間として扱ってくれていたと思う。

欲望の捌け口にすることもなく、
マウントを取るための踏み台にすることもなく、
暇を垂れ流す知人にとどめることもなく、

真っ当に、私みたいな薄くて軽くてつまらない人間と向き合ってくれたように思う。


私がメンズエステで働いてるという話をした時も「ええー」と、適当なリアクションだけして、普通に接してくれた。

私が親と縁を切るという話をした時も「ええー」と、適当なリアクションだけして、普通に接してくれた。


ああ、結婚するんだ。


式で友人代表のスピーチをしながら
ドレス姿の彼女に「おめでとう」と伝えると
自然と笑みも溢れた。


しあわせになってほしい。


友達が結婚するたびに、切なくなるの、
本当にやめたいなあ。


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