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思想が違う人と関係を続けられるか

年始、幼馴染に会った。

彼は昔から遅刻がひどく、おまけに偉そうで、自分の考えを曲げない。
20代半ばの頃は幼馴染ということもあって、叱ったりもしたけれど、もう諦めて何も言わない。

何も言わなくなったら調子に乗り始め、「お前本当に丸くなったな」と言ってきたりするようになり、
そもそも二人称が“お前”なことも気に触る。

LGBTQに対する考え方も、教育に対する考え方も、ジェンダーに関する考え方も全く違う。

もう、この人に会う意味ない気がするな。

そう思いながら、でも、一緒に育ってきたし、年に1〜2回、地元に帰った時だけ会うだけだし、
会わなくなるほどではないのかな、とも思った。

そして、考えた。

思想が違う人と親しくすることは無理なのだろうか。

例えば私はもう、男尊女卑的な思想を持つ人と親しくすることはないのだろうか。

その人が例え、性格や趣味が合ったとしても?
自分と考えや方向性が合わないというだけの理由で、関係性を断つ?

それって、どうなのだろうか。
じゃあ私は自分と似てる人とばかり仲良くし続けるのだろうか。

なんかそれって、めちゃくちゃ視野を狭くしてない?

そりゃ、自分と似てる人とばかり話す方が楽だとは思う。
間違ってるなと感じても、そういう人がこの世にはいるということを忘れてはいけないと思うし、
そもそも何かに対して意見を持つことは自由なはずだ。
合わない、というだけで、関係性を断つことはあまりにエゴイスティックな気もするし、結局自我を大きくさせることを加速させてしまう気がする。

絶対的な正義なんてものは、この世には恐らくなくて、あらゆる側面から見たら何かは白くて何かは黒い。

そういうときに、反対側を見てる人の話を「自分と合わない」というだけで断ち切ってしまっていいのだろうか。

その幼馴染と会うとものすごく疲れる。
もうかれこれ、三年くらい、そいつと会った後はイライラモヤモヤしてる。

だけど、“そういう人がこの世にはいる”ということを改めて知る機会でもある。

少なくとも、大人になってから出会った友人に、そいつのような人はいない。
無意識に私は私と合う人とばかり親しくして、自己開示してるんだと思う。

地元の友人や会社の同僚って、自らが選択して親しくなった訳ではないから
そういう思想や意見が違う人が沢山いて、
その人たちと親しくすることって多分、私の視野や思想にとってはかなり良好な影響を及ぼしてる気がする。

でも、精神衛生上は良くない気がするんだよなあ。

自分と思想が違う、という人と、
仲良くできるのか。

思想と性格はリンクするのか。

どうなのかなって、最近ぼーっと考えている。

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