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「神は見返りを求める」を観たせいで眠れない

※「神は見返りを求める」のネタバレを含みます!

私は映画レビューを書いたり、話したりするのが物凄く苦手なので、読み苦しいかもしれませんが、苦手意識の克服も兼ねて感想を書くことにしました。

吉田恵輔監督・脚本、ムロツヨシ主演の映画。
春に映画館で予告を見て気になっていたら、配信していたので、拝見しました。

ムロツヨシ演じる田母神|《たもしん》は天性のお人好し。お金を無条件に貸したり、合コンで酔い潰れる女の子を介抱したり、借金の保証人になったり、とにかく良い人。
そんな中、底辺YouTuberのゆりちゃんに頼まれて、動画の編集や車出し、撮影などを手伝うことになる。
田母神さんはどれも快く引き受ける。ゆりちゃんとの二人の時間は楽しくて、鮮やかで、売れないけれど優しい時間の流れる日々だった。
ところが、あるキッカケでゆりちゃんはバズり、有名YouTuberの仲間入りを果たす。
そこから二人の間に亀裂が入っていって、仲の良かった二人の関係は崩れていく…。
あらすじ/「神は見返りを求める」

この、ゆりちゃんというYouTuberはとにかく自己中で幼いんですよね。
幼さは色々なところで表現されていて、着ている下着や寝巻きからもその精神性は見て取れる。
田母神さんの善意に対して礼を尽くすこともない。自身が有名になった途端、態度が一変する。

本当に最低な女なんですけど、「うわ、わかるわ…」てなるんですよ。

善意に対して相応な礼を尽くさない時の無理ある自己肯定とか、
好意や、相手とのこれまでに対して嫌悪したりとか、
そういう気持ちは少なからず分かる。
分かってしまう自分が本当に嫌い。
彼女の振る舞いを見ていると、自分自身の嫌な部分にスポットが当たり続ける。
だからこそ、彼女の行いには終始腹も立つ。

一方、田母神さんの方の気持ちも、これまた分かるんですよね。

善意に対して感謝や愛を感じない時の不快感。
行き場のない気持ちを相手への復讐心に変換してしまう狂気。
どこまで行っても、どこかで相手を愛してしまってる気味の悪い執着心。

田母神さんは話が進むごとにドンドン狂っていき、ほぼストーカーに成り下がるのですが、その様子を見ていると、少なくとも私は
「私もいつこうなっても、おかしくなかった瞬間が、人生で何度かあった」と感じるのです。
私は運良く、田母神さんに、なりきらずに済んだ。そう考えると、どうしようもなく胸が苦しくなりました。

“善意”に対して、私は文中では“礼”という言葉を使いましたが映画の中でゆりちゃんは“見返り”と言っています。
私が“礼”という言葉を選んでいるのは、ゆりちゃんの行動は「すべきことをしていない」と感じるからです。

礼って、見返りなんでしょうか。

してもらったことに対して「ありがとう」と感謝するのは見返りですか?
それを求めることは「恩着せがましい」ですか?
されなかった時に相手に求めたことはありませんか?

返ってこなかった時のフラストレーションを“復讐”や“攻撃的態度”や“説教”で発散したい、と思ったことは微塵もありませんか?

私はあります。
「こいつに何とかして分からせてやりたい」と思ってしまったこと。

その一方で、田母神さんがゆりちゃんに「僕は君の立役者ではない。だけど僕は君にとって、通過点だったんじゃないの?」と尋ねるシーンがあります。

それに対して、ゆりちゃんは嫌悪感を露わにして「私、あなたが嫌い」と言い放つ。

通過点、自身の恥ずかしくて消したい過去に関わった人に「ありがとう」と思えない気持ち、
悲しいけど私は少し分かる。

分かる自分が全然好きになれない。

この映画を見た時に、「自分はどっちの気持ちも経験がないな。」と思える人はちゃんと自分と相手を同化せず、自身の人生に羞恥を覚えることもなく、生きてこれた人だと思います。
少なくとも私にとって思い当たる経験はどれも、惨めで恥ずかしくて人に言いたくないモノだから。

観た後の感情はドロドロしたものが溢れて、少なくとも私は眠れなくなりましたが、そのドロドロは必ず人生において向き合うべきものだと思うので、自分のことを好きになれない方にはオススメの映画です。

実体験を通して語る映画の感想って愚かだなと思ってるのに、自分が書いたら世話ないですね。
ネガティブになってしまってる…。


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