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嫉妬される才能

大学時代に交際していた恋人に言われたことがある。

「かほさんの好きな人は全部嫌い」

事実、その元カレは私の過去の交際相手はもちろん、
地元の友達、高校の友達、大学の他のコミュニティの友達、
先輩、後輩、バイトの同僚、
果ては好きな俳優、作家、お笑い芸人まで、全てを嫌った。

いや、正確には全てではなかった。
彼が先行して好きだったものは許された。
例えば彼は伊坂幸太郎が元々好きだったので、伊坂幸太郎を好きであることは許された。
さまぁ〜ずと和牛は許されたけど、銀シャリと相席スタートは許されなかった。

大学の友人も、彼の後輩や友人と仲良くすることは許されたけど、
私が私の友人と食事に行くことは許されなかった。(同性であっても)

いわく、
「私が他の誰かといる時に楽しんでること」が
苦しくて苦しくて仕方がない、とのことだった。

そんな人とも一応2年以上は交際し、「会社に行くな」と言われ軟禁され(半同棲生活を送っていた)、警察沙汰になり別れた。まあ、恐らく何らかの精神疾患だったと思う。
だけど彼ほど酷くなくても、彼と似たようなことを言う人はその後も度々出会った。

その後付き合った男性は地元の友達とのインスタの写真を見て
「民度が低い」とか「頭悪そう」とかボロクソ言ってきたり

私のファンだと言ってくれたバイト先(メンズエステではない)のお客さんに好きな俳優の話をしたら
「俺、そいつと仕事したことあるけど、」とやたらと悪口を言われたり

何度か誘われた取引先の男性は私の所属していた大学のコミュニティを特定して、そこにいた人達のことをやたらと批判してきたりした。

属性も年齢も皆んな全く違ったけれど、今思い出すとその人たちの共通点は
皆んな、“何者かになりたがっていた”ように思う。

私に好意があって嫉妬していた、というよりも
私が引き合いに出す人たちの何かに嫉妬していた、気がする。
だって、好意から来ているなら、元カレや好きだった人に対して「私に好かれていた」と嫉妬すればいいのに
その人たちが創り出した(あるいは築き上げた)何かに嫉妬していたから。

警察沙汰になった彼ですら、私を愛していたというよりは
「私を楽しませることができる“才能”」に嫉妬していた気がする。
そして、その才能を認められないから否定していたんだと思う。
更に、そんなショボい才能(自分が認めるに値するほどでもない才能)なんかを楽しんでたり喜んでたり認めてたりする私に、怒りが湧くんだろう。

彼らは私を愛してると言ってくれたけれど、
その向こうにいる自分自身を愛していたんだと思う。

自分が大好きな自分を認めて、受け入れてくれる私のことが好きで、
だから自分が嫌いなものや認めていないものを好きだと言われると許せないし、傷付いてしまうのだろう。

「自分が嫌いなものを好きだからムカついた」なんていうのは大人の世界じゃ通用しないことは絶対に分かってるはずじゃないですか。

「俺が認めていないものを認めてるから性格が合わない」なんて、中学国語の意見文やディベートの授業を履修できてないってことになるじゃないですか。

みんな良い大人なんだから、頭では分かってたはずなのに
それでもイライラしてしまって、更にその感情を相手にぶつけてしまう(傷つけてしまう)のは
相手と自身を少なからず同一化してしまっているからだと思う。

あと、何者かになりたいという気持ちを今も尚少なからず持ってるんだと思う。
自分には何か才能があって、それを周囲にもっと認めてもらいたい、と思ってる。

その気持ちは本当に嫌味ではなく、尊敬していた。
私は私に才能がないことを中学の時に悟ったから。

私は特別な誰かではないし、何か秀でてるものがあるわけでもない。
それを知って、悟って、特に何かになりたいとも思わなくなった。

大学に入ったり、社会に出ると、意外と皆んなまだ何者かになりたがっていて、素直に尊敬した。

だって、その気持ちを持ち続けることすら、ものすごく疲れるから。

嫉妬、という感情の構造は言語化と対象が難解で複雑だけど
私自身が嫉妬の対象になることはきっとないんだろうなあと思う。
才能も、秀でるものもない者は
誰かに嫉妬されることもないから。


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