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五分にも満たない距離

「最近どうなの」
 スマートフォン越しの母の声はこころなしか低く感じた。

 胡坐をかいて、目の前に並べた仕送りの数々を眺める。緩衝材がいらないくらいぱんぱんだった段ボール箱は畳んで壁に立てかけた。フリマアプリで売ったものの補強に使うから、仕送りの中で一番嬉しいのは段ボール箱かもしれなかった。
「どうなのってなんだよ」
 漠然とした質問は答えにくいと常々訴えていたが、忘れてしまったのだろうか。こういったひとつひとつに年齢を感じざるを得なくなって、悲しさを誤魔化すように冷たい声色が出た。

「学校は大丈夫?」
「もう夏休み」
「バイトは? 行ってるの?」
「やってる」
 どうしても優しい声が出せない。声帯だけが自分のものじゃないみたいだった。頭の中では言葉のラリーが続いていて、微笑みあう親子の姿が透けている。しかし現実はぶっきらぼうな返事しかできず、全部想定と違っていた。せめてあと一言付け足せたら。明るい声を出せたら。

 電話だけじゃなく、実際に対面しても同じだった。話しながら理想を描ける電話の方が多少はましだけれど、何を言われても気持ち悪かった。いないものとして扱ってほしかった。心配などしなくていいから放っておいてほしかった。
 だからこそ実家を出たのに、距離をおいてもこうなってしまうのか。誰しも合わないひと、というのはいるけれど、もしかして母親がそうなのだろうか? 他人なら割り切って付き合えるのに、血の繋がりというものは厄介だ。

「たまには顔みせなさいよ」
「帰省しない方がいいんじゃねぇの」
 ニュースには全く興味がないが、これくらいはわかる。自分の意思とは関係ないところにみえないバリアが張られていて、知っていても知らなくてもそれを越えたらアウト。まだ二十年足らずしか生きていないのに、息苦しさは年々増すばかりだ。
「一時間もかからないでしょ」
 実家といっても関東近郊、隣の県である。近くて遠いとはまさにこのことだ。遠く感じさせているのは自分のせいだけれど。
「考えとく」
 たぶん行かないけど、というニュアンスで。
 これくらいは母にも伝わっているだろう。

「じゃあね」
 早々に電話を切った。母はまだ話したそうだったが、これ以上繋いでいたら思ってもみない言葉が飛び出る気がした。一度発してしまえば取り消せないものに後悔するのはごめんだ。リスクは回避するに越したことはない。
 通話時間は五分にも満たなかった。どんなものにも適切な距離があって、自分と母にとってのそれは今くらいなのだと言い聞かせる。親子なのに五分か、と自嘲して、急に怖くなった。自分が一番血の繋がりを意識しているのだった。

 後味の悪さを、送られてきたチョコレートで上書きする。この暑さの中、コンビニでも買えるようなチョコレートを送ってくるなんてどうかしてるよ。
 溶けたらもったいないからと、急いで冷蔵庫に仕舞った。

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