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矛盾した一個体を愛してほしい

 たくさんある苦手なものをひとつひとつ検討して、脳内でふたつの箱に分ける。これは比較的許せるタイプの苦手。こっちは絶対に無理なほうの苦手。たまにぜんぶひっくり返して検討し直して、わたしの価値観をアップデートしていく。
 今のところ、許せるほうには、例えばロングスカートの裾をたくし上げないで階段を昇り降りするひととかが入っている。見てて心配になるけど、わたしには直接関係ないことだから、許せるほう。でも、好きなひとの彼女がこういうひとだったら、ちょっとやだな。
 絶対に無理なほうの箱には、それはもうたっぷりと苦手なものが詰まっているのだけど(たぶんわたしが愛されない理由も詰まっている)、最近の再検討で仲間入りしたものがある。
 愚痴が多いひと。
 許せていたものが無理になるのは、案外簡単なことらしい。

「タケイさん、今度一緒にライブ行きません?」
 好きなバンドと苦手な音楽のジャンルがことごとく被っていて、意気投合したタケイさん。いつの間にかわたしのサークルに出入りするようになっていて、その日も彼は部室に入り浸っていた。どうやって出会ったか思い出せないくらい、自然ななりゆきだった。
「いつ?」
 ほつれたソファに寝そべりながらこっちを見るタケイさん、前髪がすっかり顔を覆い隠しているから、どんな表情なのかいつも読めない。たぶん細い目をさらに細めて、わたしとカレンダーアプリを見比べていると思う。
 顔が見えなくても、何がしたいのかは割と読みやすいひとだった。気分の上下もなんとなくわかった。
「来月の終わりくらいです」
 日程が曖昧でも、まだチケットが取れていなくても、持ち前のフットワークの軽さでほいほいと着いてきてくれるのはとっても好きなところ。
 好きと言っても恋愛のそれじゃなくて、人間としての好きだ。これは強がりではなく、マジ中のマジ。だいたいわたしは目のぱっちりした男が好きだ。
「行くー」
 ほら、やっぱり来てくれるって。

 こんなやり取りを何度か繰り返して、タケイさんはわたしのいちばんになった。
 残念ながら恋人にはならないいちばんだ。だって、どうしても顔が好きになれなかったから。もちろんそんなこと言えなかったけど、顔が違っていたらな、と思うことは何度もあった。ぱっちり二重だったら、少しは揺れただろうか。

 意気投合したふたりがそのまま上手くいくような物語は、漫画の中にしか存在しない。わたしたちは、近づきすぎたのだと思う。
 一緒にいる時間が増え、距離も近づいた。サークルのひとからはニコイチ扱いを受け、タケイさんはまんざらでもない顔をしていた。わたしはどうしていいかわからなくて、同じような顔をしてごまかした。
 見えないと思っていた表情は、下からだとよく見えることを知った。タケイさんの顔を盗み見る度に、わたしが隣にいることが不思議になっていた。いちばんなのに、落ち着かなかった。
 ニコイチは一緒にいるのが当たり前だとでも言うように、一緒にご飯を食べ、たくさんの言葉を交わし、一緒に電車に乗った。さすがに違う家に帰ったけれど、頻繁にメッセージのやり取りをした。好きな映画の話、嫌いなひとの話、最近あった出来事、ムカついたこと、なんでも話した。そのすべてがゆっくりと、落ち着かないものに変わっていた。
 どうしてだろう、あんなに好きだったのに。

 答えを探そうと、タケイさんがバイトをしている間に、トーク履歴を読み返した。バイトの時間を選んだのは、タケイさんが絶対に携帯を見ない時間だからだ。
 出会ってすぐ、まだ敬語で、よくわからない上下関係に則って話していたとき。たまたまライブ会場で会った日の夜。それからずっと続いた、好きなバントの話。苦手な音楽ジャンルをこき下ろすタケイさんと、それに乗っかるわたし。今度は一緒に行きませんかと誘ったのに、チケットが取れなかった悲しみの報告。また今度ね、と約束して、実際に今度が訪れた日のこと。
 いやなところなんて全然ないはずだった。文面を読んでは、その日のことを思い返す。楽しそうなわたしが目に浮かぶ。きっとタケイさんも、長い前髪の下で笑っていたと思う。

 いくつか読み飛ばして、ちょうどニコイチと呼ばれ始めたころになった。メッセージの更新速度があがっていた。ありえないほどの短文が並ぶ中に、鈍く光る鍵を見つけたような気がして、先を読み進めた。
 そして、ふと気付く。
 タケイさんの話に愚痴が増えたこと。わたしはそれをただ聞いて、相槌を打ってばかりいたこと。
 わたしが知りたかったのは、どうでもいいひとに対する愚痴なんかじゃなく、タケイさんの内側の奥の奥だったこと。

  思い返せば、愚痴っているタケイさんはいつにも増して不細工で、見るに堪えない顔をしていた。好きなバンドの話をして、前髪の奥の目がきらきらしていた、あの表情の持ち主とは思えないくらいだった。
 好きな顔じゃなかったけど、きらきらした瞳は、好きだったのかも。だからいちばんにできたのかもしれない。

 タケイさんは、わたしに気を許してくれたのだと思う。だからひとには言いづらい愚痴を言って、一緒の立場で笑い飛ばしてほしかったんだろう。
 愚痴を言わないでほしい、とは言えない。聞いてもらわないと発散できない気持ちが、彼にはあったのだ。
 わたしにだってそういう日はある。聞いてほしい話もあったはずだ。
 でもそれを堪えて、タケイさんの話にうんそうだね、と返事をして、じゃあまた明日ね、と言っていたような気がする。わたしが言いたかったことを、飲み込んだ日があった気がする。
 そんなのお互い様だよね。
 一回気付いたら無理になっちゃうのは、お互い様じゃないか。

 タケイさんのバイトが終わる時間にさしかかっていて、トーク画面をそっと閉じた。
 脳内の苦手なもの分類が、動くのを感じる。
 愚痴が多いひと、今までは許せるほうに入っていたのに、絶対に無理なほうに移ってしまったな。窮屈なわたしに気付いちゃったから。
 それはわたしが勝手につくり出した窮屈かもしれないけど、たったそれだけのことで、苦手なもの分類は動いてしまうし、たったこれだけのことで、ひとを好きにも嫌いにもなれるみたい。

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