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七夕まであとすこし

 夜勤明け、マンションのエントランスには七夕飾りがされていた。曜日感覚どころか日付感覚もなくなっていたから、あと一週間もしないうちに七夕になるなんて知らなかった。そもそも七月になっていることさえも。

 エレベーターを待つあいだ、短冊を眺める。小さな子どもの字で「ゲームがもらえますように」と書かれたものをみつけ、微笑ましくなった。文字の下にはゲームのキャラクターであろうイラストが添えてあり、それはお世辞にも上手いといえるものではなかったけれど、欲しいという熱意だけは神様にも伝わるような気がした。
 自分が幼かったころは何を書いていたのだろう、と記憶を探るが、短冊に願い事を書いたかすらあやふやだった。少なくとも幼稚園では七夕の行事があったはずなのに、そのころの記憶はすっぽり抜け落ちている。物心つくまえのことだから当然か。

 足元には小さな台があり、数枚の短冊とペンが置かれていた。誰もみていないし、せっかくだから何か書こうかと、カラフルな短冊の中から一番上にあった黄色を手に取る。
 願い事を考え始めたとき、エレベーターが到着した。思わず短冊を握ったままエレベーターに乗り、自室がある階のボタンを押した。握られたままの黄色い画用紙には少しだけシワが付いてしまったけれど、子どもの純粋な願い事に比べたらこれから書く何かはこんなものだ。

 家に入り着替えもしないまま、テーブルに短冊を置いてにらめっこしてみる。大人になると願い事を決めることすらできなくなってしまうのか、色々な思いが巡っては消えていく。例えば「大金持ちになりたい」と書いたって、夜勤のバイトで生計を立てている自分には不釣り合いも甚だしく、叶いっこないのだ。そうやってひとつひとつ可能性を潰したら、もう何も残らなくなってしまった。

 なにかヒントを得ようとスマートフォンに「七夕 短冊 願い事 例」と入力して検索をかけた。子ども用の記事ばかりが目について、短冊を書こうとしたことがすでに間違っていたのではないかと思わされる。

 短冊の書き方と色の意味を解説しているサイトをみつけ、それを開いた。短冊の色には意味があるなんて初めて聞く。
 黄色は、とサイトをスクロールすると「人間関係に関するもの」と書かれていた。たまたま手に取った色だったけれど、苦笑するほかない。子どもたちに混ざって「友だちが増えますように」とでも書けばいいのか。これなら期待値がないぶんちょうどいいかもしれない。

 更にスクロールした記事によると、努力しているものの上達を願うといいらしい。神様がちょっと手助けすれば叶えられるようなささやかな願いがふさわしいそうだ。ピンポイントに「物欲は叶いません」と書かれていて、夢のない話だと思った。

 さっきみた短冊たちを思い出す。あそこにはたくさんの願い事が詰まっていた。きっと大きなものばかりだ。
 本当は神様の手の届く範囲なんてとっても狭くて、このマンションのことなど気にも留めないかもしれないけれど。誰が決めたのかもわからないルールに縛られず「ゲームがほしい」と書いた、あの子の願いが叶ったらいい。

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