いつか植物になる前に
「なんで吸うの?」
顔をしかめながら煙を払う私に、「もう忘れた」と呟く貴方はどんな顔をしていたっけ。
世間の波に乗れないまま今日も煙草を咥える。友だちは口をそろえて辞めなと言うけれど、そんな助言に意味はなかった。副流煙は吸わせてあげないから安心して。
吹きかける相手はずっと決まっていて、それが実行されないことももう決まっている。実行されなくても辞められないのはただの意地だ。一度始めたことを辞められないのは私の長所でもあり短所でもある。
ベランダで煙草を吸う時間が好きだ。眼下にみえる細い裏路地は人通りもなく、世界には私しかいないみたいだった。室外機の上に置いたままの灰皿は、吹き込んだ雨水と燃えかすで汚れている。
隣部屋の住人は旅に出たらしく、部屋では埃が栽培されている。解約していけばいいのに、とも思うけれど、騒がしいひとが入居してくるよりましだ。ベランダに置き去られた植物が伸びに伸びて、私の部屋を飲み込もうとしていることだけが問題だった。その生命力はどこから溢れ出てくるのだろう。
人間は生命力を削りながら生きているのに、植物は日々生命力を蓄えている気がする。意思もないはずだからどういう原理かはわからないけれど、なにか吸い取られているのかもしれない。だとしたら、このまま住み続けていれば、いつか全部飲み込まれて植物になれるだろうか。
煙草を教えてくれたひとはどこかに行ってしまった。きっと手の届かないところだ。
彼もまた旅に出たのかもしれない。二度と帰ってこないなら、そう言ってくれればよかったのに。後を濁しまくっていなくなったから、処理がうまくできないままだよ。片付けは苦手って言ったじゃない、なら代わりにやるって。
人間のことは、声から忘れるらしい。最後まで残るのは匂いなのだとどこかで読んだ。
でも私が覚えているのは煙草の香りだけで、シャンプーの香りも、柔軟剤の香りも、全部思い出せないの。覚えているこれだって私が毎日吸っているからにすぎなくて、それすら辞めてしまったら何一つ思い出せなくなってしまうのだろう。
どうやらあんなに多かった銘柄が少しずつ減っているらしい。喫煙者にとことん厳しい世界だ。生きづらさは年々増している。今手元にあるこれも、そのうち廃止されてしまうだろう。
廃止される前に一生かかっても吸いきれないくらい買いだめしておけば、これを求めて、帰ってきてくれる?
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